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「あ! 俺、水買ってきますね!」
「え?」
ホームの中央に自販機があるので、いづきは足早にそこを目指す。乗車するはずだった電車は、もうとっくに発車してしまっていた。
スマホでバイト先のコンビニに電話をかけながら、自販機で水を一本購入する。
電話に出た猫田は、いづきから遅刻の理由を聞いても「ほーん」とどうでもよさそうにしていた。そんなんでいいのか、と思う反面ありがたいとも思った。
「ごめんなさい、お待たせしました!」
冷たい水が入ったペットボトルを男性に差しだす。男性は戸惑いながらもそれを受けとった。
「す、すみません。わざわざ僕なんかのために……。いくらでした?」
「いやいや! お金なら大丈夫です」
「ありがとうございます……すみません」
ホームで電車を待つ姿は凛とした佇まいだったのに、今ではすっかり背中を丸めて暗いオーラを放っている。いづきは男性の隣に座り、事情を聞いてみることにした。
「あの、急に具合悪くなっちゃったんですか?」
どう聞いていいのかわからず、ストレートにぶつけてしまう。
男性は水を一口飲んだあと少し困ったように眉を下げていたが、やがて口を開いた。
「恥ずかしい話なんですけど……僕、女性のああいう会話が苦手で」
「会話? ……あ、もしかしてさっきの」
「ええ。まあ会話というよりは、その……女性のそれを連想させるようなものがちょっと」
女性のそれ?
いづきは首をかしげて考える。先ほどの女性の生々しい会話。その内容を思いだしてみる。
たしか彼氏との夜の話で……ということは、つまり。女性のあれか。
「我慢しなきゃいけないのはわかってるんですけど、気分悪くなっちゃうんですよね」
「た、大変ですね。えーと、こんなこと聞くのは失礼かもしれないんですけど……女性と会話したりとかは?」
「ああ、女性恐怖症ではないので通常の会話ならできますよ」
なるほど。ただ性的なものが苦手というわけだ。
世の中にはいろんな人もいるんだなあ、なんて。
「すみません。初対面の方にこんな話をしてしまって。困りますよね」
「い、いえ。聞いたのは俺だし……俺も失礼なこと聞いちゃってすみません」
「いえいえ」
お互いぺこぺこと頭を下げる。
いづきと目が合った男性は、目を細めて微笑んだ。
なんだか子どもを見守るような目だ……。どこに行っても子ども扱いされてしまうのは逃れられない運命なのだろうか。いづきは苦笑してしまった。
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