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第4章
夏休みも後半に差しかかったある日。バイトに向かうため駅のホームで電車を待っていたいづき。
スマホで時間を確認すると、電車到着まで後三分だった。
スマホを鞄にしまったとき、風が吹いてふわっと甘い香りが鼻をくすぐった。ちらりと香りがしたほうを見る。どうやらいづきの隣に並んでいる男性から漂っているようだ。
スリーピーススーツをびしっと着こなし、黒くて縁が薄い眼鏡。背はいづきより、頭一個半くらい大きい。
サラリーマンかな? と思ったが、微妙なところだ。髪型がそれっぽくないというか……。
ここからじゃよく見えないので、なんとも言えないが。
あまりちらちら見ても失礼だと思い、視線を前に戻す。
そんないづきたちの後ろに、女性二人が並んだ。いづきにも聞こえるくらいの声で楽しそうに話をしている。
聞き耳を立てているみたいでいい気はしないが、聞こえてしまうなら仕方ない。
「昨日彼氏がさー」
「え、それやばくない? 激しすぎ」
なんと驚いたことに、やらしい女子トークを繰りひろげている。
あ、これ聞いたらあかんやつ。そう察したいづきは鞄からイヤホンを取りだそうとした……ところであることに気づく。
隣にいる男性がかたかたと震えていた。見れば汗もすごい。暑いからというわけではなさそうだった。心なしか顔が青白くなっている気がした。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
とても無視できる状態ではなかったので、思いきって声をかけてみることに。男性は目だけをこちらに向けたかと思えば、首を小さく左右に振った。
「座りましょう。ね、あそこのベンチ空いてるんで」
もう電車はそこまで来ているが、それどころではない。あとでバイト先に電話するとして、今は男性を休ませなければ。
男性の大きな体を支えながら、ホームのベンチに向かう。男性はベンチに腰かけると頭を抱えはじめた。
「えっと……そうだ。救急車呼びますか?」
「い、いや。それは大丈夫……すみません。ありがとうございます」
男性はか細い声でそう言った。
大丈夫そうには見えないけれど、本人がいいと言うなら救急車はやめておこう。いづきは出しかけていたスマホを、鞄にしまった。
正面から見てみると、やはりサラリーマンっぽくない髪型だ。
アシンメトリーというやつか。いづきから見て左側の下部分の髪は剃りあげているが、それ以外はバランスよく伸びていて右側に流している。
むき出しの額からは汗がじわっと浮きでていた。
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