弔い

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弔い

 国造の縁の者が死ぬと国府の北に造られた巨大な墓に葬られることになっている。見上げる程に大きな丘のような墓だ。  沙由子のいない今、手児奈の死を国府に届け出れば、手児奈は国造の妹として黄金や様々な色の布で飾りたてられた姿となり、そのような墓に葬られるのだろう。  俺は手児奈をそのような目に合わせたくはなかった。手児奈を苦しめた国造の一族と同じ墓所に、しかもあの沙由子とともに眠らせるなど許すことはできないと思った。  しかし、村の墓場に新しい盛り土を造り、村人達の墓に紛れさすように手児奈を埋めることも憚られる気がした。  俺は自分の家に手児奈を運び込み、静かに眠りつく手児奈を目の前にして考え込んだ。  如何にして手児奈を葬るべきか。  そして考え抜いた末、俺は一つの結論に達した。俺の中に手児奈を葬ろう、と。  それもやはり俺の身勝手のひとつだったのかもしれない。  しかし、手児奈が俺の中に入り、俺とひとつになり、俺の血となり肉となりして新しい命を得ることができるのなら……と俺は願ってしまったのだった。  手児奈が死んだ朔の夜の、その次の夜……俺は井戸から汲んできた水で手児奈の体を洗い清めた。そして、親父の形見であった一本の小太刀を手にとる。飾りも何もないありふれた形の小太刀だが、親父はいつも大切に身につけていたように記憶している。しかし、この小太刀が何であるのか、墓に眠る死者達に関係のあるものなのかどうか、親父は教えてはくれなかったし、この刀が鞘から抜かれたのを見たこともなかった。  暗闇の中、俺はまじないのことばを唱えながら小太刀をゆっくりと鞘から引き抜いた。刀身がうっすらと青ざめた光を放っている。やはりなにがしかの霊力を宿しているのかもしれなかった。  俺の口から迸り出るまじないは、死者の魂をあの世へ送るためのことばだ。貴族達が信じるというミホトケなるものの教えとは異なる、この村の墓守にだけ代々受け継がれてきた弔いのことばのひとつだった。  俺は手児奈の脇腹に小太刀の刃をあてがった。動悸が速まる。本当によいのか、という心がふと沸き上がる。しかし、俺は迷いを振り切るようにぐっと手に力を込めた。柔らかく押し返してくる感触とともに、何かをぶつぶつと切る固さがが手に伝わる。手首を回し、刀を引き、手児奈の腹の肉を抉り取った。  切り取ったものを手にすると血の匂いと共に酸えたような甘い匂いが漂い、頭の奥に軽い痺れを感じた。 ――手児奈……愛しい手児奈……お前をこの身に……俺の中に弔おう……手児奈……  俺は肉片を口に含んだ。噛みしめると、柔らかな肉からねっとりした汁が溢れ口の中に満ちる。嚥下した。その瞬間、俺の体の奥底に突き抜けるような快感が走った。  気がつくと、いつの間にか俺の手は手児奈の次の肉片を削ぎ落としにかかっていた。  夜が明けきるまで、俺は憑かれたように手児奈の肉をひたすらに切り取り続け、そして喰らい続けた。  一晩だけでは手児奈の全てを俺の中に「葬る」ことはできなかった。俺は夜も昼もなく家の内に籠もり、小太刀と己の歯と舌を使って手児奈の肉を削ぎ取り、手児奈の命を弔い続けた。  日が経つにつれて、手児奈の体は柔らかくとろけていった。小太刀は必要なくなった。俺は手児奈の肉の中に顔を埋めて、かつて手児奈を形作っていたモノをすすった。蛆や蠅がたかれば、蛆や蠅ごと口に入れ歯ですり潰して咀嚼した。  手児奈のカタチはもはや生きている頃の姿からは遠くかけ離れたものだった。しかし、俺はその手児奈をもやはり美しいと感じていた。  手児奈を食べ続ける間は、この世の忌まわしいもの全てが消え去り、ぽっかりとした闇の中に俺と手児奈だけがいるのだと感じることができる。俺は生まれて初めて感じるような深い喜びと幸福を感じた。俺と手児奈の境目は溶け合いながら曖昧模糊としたものになっていく。  俺が自分自身の体の変化に気がついたのは、手児奈の弔いを始めてから五日目のことだった。ふと自分の顔を撫でると妙にするりとしていた。髭が消えていたのだ。六日目になると、心なしか体がくにゃりとしなやかに柔らかくなった。日の射さない家の中に籠もっていたので手足が萎えたのだろうかと思ったが、弱るどころか逆に体の中には強い力が漲っているようにも感じる。  俺は手児奈を弔い、食べ続ける。手児奈の肉は俺の肉と混じり合う。俺は舌の先で剥き出しになった骨を舐める。  手児奈が俺の中に取り込まれるのに呼応するかのように俺の体もゆっくりと、しかし確実にカタチを変えていく。  俺の体は徐々に丸みと柔らかさを帯びていった。肌は透き通るように白くなり、髪は絹糸のように細くなって伸び肩の上でさらさらと揺れた。十日目にもなると胸の辺りがぷっくりと膨らみ、二つの山のような形が現れた。  この頃になると、もう手児奈はほとんど骨くらいしか残っていなかった。俺は骨についた肉を歯でこそげ取り口の中でゆっくりと味わってから飲み込む。崩れかかった目玉は口に含んでしゃぶった。  やがて、骨だけを残してとうとう手児奈の全てを俺の中に葬り終えた時、俺の股間のものもいつの間にか消えていた。  俺は、俺の体が女になったことを知った。  俺は手児奈の骨を家の中に残し、久方ぶりに外へ出た。白い光が目に射し込み思わず顔をしかめる。日の光かと思ったがそうではなかった。夜だった。眩いばかりに輝いているのは天空に浮かぶ円い月だ。手児奈が死んだ朔の夜から半月が経っていたのだ。  俺は月光の中をふわりふわりと夢のように覚束ない足取りで歩き、墓場を横切った。凍てつく月明かりの中で、見慣れた墓達が黒々とした影を静かに横たえている。その合間を、人としての心を喪った死霊達がほんのりとした微かな光を放ちながらあてどなく静かに漂っていた。  木々の入り組んだ林の闇の中へと入る。林の奥には鏡ヶ池がある。  その名前の通り、鏡のように平らかな池の水面を覗き込む。そこには手児奈がいた。  俺は両の手で己の顔を挟む。池の中の手児奈も同じ仕草をした。  驚きはしなかった。手児奈を食った俺が手児奈の姿になる……それは至極当たり前のことであるように感じていた。
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