一章

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 話は手紙に書かれていた内容と相違なかった。違うとすれば、手紙を送った時点より犠牲者が一名増えているという点だけだ。もっとも本当に犠牲者と呼べるのかは、その原因が怪異として認められるかどうかにかかっていた。そうでなければたまたま偶然に重なった不慮の事故、あるいは自死という扱いになる。 「重要なことなのでもう一度確認しますが、お客さんが続いて亡くなられているのは、本当にその大雪の降った後からなんですね?」  野秋は神妙そうな顔をして深く頷く。 「そうです。間違いなく。あの雪で大量のキャンセルが発生したので印象に残っています」 「そして、亡くなった方は決まって同じ亡くなり方を。つまり、海や運河、川などに飛び込み自死する」 「はい。そして、その前には必ず声がするんだそうです。私は直接聞いたことはありませんが、ここの従業員やお客様など何人もが聞いていらっしゃいます」 「わかりました」  腕を組んで全然減らないコーヒーを口へ運ぶ。  これはやはり怪異や。何人もの人が同じ場面を目撃している。おそらくは声の主が死を誘引し行動に移させている。問題は、それが誰でどうやって、何の目的で怪異を引き起こしているのか。 (……妖がその特異な能力を用いて怪異を起こすことは禁じられているはずなんやけど) 「あ、あの」  楓がずっと一点を見つめて黙っていることに不安になったのか、野秋は突如声を早めた。 「やはり妖怪の仕業なんでしょうか」 「……でしょうね。現象を聞いている限りはそれ以外考えられません」 「やはり」  と言葉を切ると急に顔色が変わる。明らかに青ざめた不安気な表情へと。 「あの、しかし、私どもは妖怪に怨まれるようなことは何もしていないのですよ。確かにお客様は人が大半ですが、それは何も贔屓をしているわけではないのです。単純に当ホテルに泊まれるほどの、その地位や余裕のある方が人に多いというだけでして」  腹の底が夜冷えになったように寒々しくなる。表情にはもちろん出さないが、心内ではこう呟いていた。 (あんたもそういう類いか)  法が施行されたとはいえ人の心まではすぐには変わらない。これまでひっそりと暮らさざるを得なかった妖が十分な収入を持たないのは当たり前のこと。そんなことで恨みに思う者などほとんどいやしないというのに。 「わかっています」  そんな思いを悟られぬようにこっそり呑み込み平然と振る舞うのにはもう慣れていた。それに、怪異を引き起こす妖の正体はすぐには思い当たらなかった。 「すぐに調査を始めます。こちらからもその都度連絡致しますが、何かあればすぐにご連絡を」 「はい、よろしくお願いします」  また丁寧に頭を下げると野秋は徐に立ち上がり、まだなみなみに注がれたコーヒーカップに視線を留めた。 「ゆっくりとコーヒーをお愉しみください。そう言えば、さきほど硝子のコップを触っていらっしゃいましたね。もしよろしければですが調査の合間にでも運河の方に行かれたらいかがでしょうか。硝子工芸の店舗がいくつかありますので、お気に召すものがあるかもしれません」  楓もすっと立ち上がると頭を下げる。長い髪がふわりと揺れた。 「お心遣い感謝します。なるべく早く解決できるよう尽力しますので、よろしくお願いします」  再び扉が閉まると同時に椅子へ座ると、長く深い息を吐いた。毎回のことだが、依頼人と対面するときが最も疲れる。以前はここまで疲れることもなかったはずなのだが、身分が変わって公を気にするようになってしまっているのだろうか。それとも妖ばかり相手にしてきて、人との接し方がわからなくなっているのか。  カップの取っ手を掴むと表面の揺れるコーヒを喉奥へと流し込む。苦い味わいが喉を抉るようだった。  どっちにしてもこれが最後の仕事になるんやろうか。  楓はキングベッドが置かれた寝室で身支度を整えると、早速調査を開始した。  
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