悲しきアルケミスト

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ゆっくり歩いても息が切れるほどの坂道を上って行くと、突き当りにプレハブの1軒家があった。 後ろには、六甲の山が迫って、雨でも降り続いたら、一気に崩れ落ちてきそうだ。 玄関の柿の木のてっぺんの枝に、1つだけ熟して落ちてしまいそうな柿が残されていて、青い空に浮かんでいるように見える。 匠は、大学院を修了したら、研究の道に進むか、或いは、普通に就職するかを迷っている。 その相談を、この坂の上のプレハブを研究室として、70歳を過ぎても、なを、現役で研究を続ける添田教授に相談に来たのである。 「先生、匠です。」 そう言って、研究室に入ると、教授は、実験台の前に座って、腕組みをしている。 「うーむ。」 研究が行き詰っているのだろうか、眉間にシワをよせて、悩んでいるように見える。 「先生、どうされたんですか。」と尋ねる。 「おう、匠君か。実はな、僕は、どうやら、世紀の大発明をしてしまったようなんだ。」 「それは、すごいじゃないですか。ひょっとして、あの普通の金属から、金を作り出すという錬金術を発明したんですか。」と、半分、からかうつもりで聞いた。 教授は、大学の研究の傍ら、休日は、もっぱら趣味として、他の金属から金を作り出すという実験をしていたのだ。 人が聞いたら、「アホかいな。」と、一笑に付される話だけれど、ある時、教授にその訳を聞いたら、少し、教授にも可愛い部分があるんだなと思ったことがある。 教授曰く、今まで苦労をかけた奥さんに、周りの金属を、全部金に変えて喜ばせてあげたいそうだ。 「そしたら、特許とって、金に変えまくるで。そしたら、お金が、ガッポガッポと財布に入ってくるんや。」と目を輝かせて話し出した時は、やや世俗的な欲に支配されている教授の本性を見た気になって、興醒めをしたのではあるが、でも、金を作り出すという錬金術は、大昔から、西洋でも試みられてきた実験で、ある意味、物理や化学のロマンを感じる話でもある。 教授も、その荒唐無稽と思われる、そして、誰も成し得なかった実験に、子供のように心惹かれるものがあったのだろう。 意外と、そういうことが、科学という分野を発展させてきた原動力なのかもしれないのではある。 教授は、匠のからかったような返事に、すぐには、こたえず「うーむ。」と、腕を組んで、匠を見ることもしなかった。 そして、言った。 「いや、その反対や。金をアルミに変える技術を発明したんや。」 「教授、それは、すごい発明じゃないですか。いや、本当に、そんなことが可能なんですか。いやいやいや、その理論は、どうなってるんですか。いや、本当に、これは世紀の大発明ですよ。」 匠は、心から、感動していた。 これは、正しく、科学者や、錬金術師と呼ばれた人たちが、夢見てきたことなのである。 それを、今、匠の目の前にいる教授が、成し遂げたのである。 ただ、アルミを金に変えるのではなくて、金をアルミに変えるのではあるが。 しかし、それにしたって、世紀の大発明だ。 これは、間違いがない。 「そうやろ、これは世紀の大発明だよ。僕も興奮して、ここ2、3日、寝ていないんだ。」 「大丈夫ですか。それにしても、その方法は、どうなってるんですか。」 「これが単純なんだ。金にね、ある種類の電磁波を照射するんだ。すると、ある条件の下でアルミに変わるんだ。」 「えっ。そんな単純なものですか。いやあ、それは、教授、もうちょっと実験を繰り返してみた方がいいんじゃないですか。それで、アルミに変わるなんて、理屈で説明できない気がするんです。教授、どういう理屈なんですか。」 「いや、理屈は、まだ僕にも解明できていないんだ。でも、確実に変化する。これは、実験で何度も証明済みや。」 「いや、これは僕なんかが教授に言える話じゃないですけれど、絶対に、理屈が説明できないですよ。教授、勘違いじゃないんですよね。」 すると教授は、「金アル変換は、あります!」と気持ち悪い女性の声を出して言った。 そして、「あ、この金アル変換というのはね、昨日考えたんやけれど、金がアルミに変化するから、金アル変換って名前をつけたんや。もう悩んでな、考えに考えたよ。ゴールド安物変換にしようかと思ったんだけど、金が安物のアルミに変わるからな、でも、ちょっと長いし言いにくいやろ。あと、ビックリ変換も考えた。ちょっと、これはエエなと思ったけど、金もアルミも付いてないからね。」と続けた。 「いや、金アル変換の名前の説明はいいです。だいたい、想像がつきますから。それよりも、念のために確認しておきますが、今のは、小保方さんのスタップ細胞のモノマネですよね。」 「似てた?自分でも似てるんじゃないかなと思ってさ。」 「いや、似てたというより、気持ち悪かったです。」 教授は、ちょっと残念そうである。 しかし、匠は、首をひねる。 果たして、金に電磁波を照射するだけで、金がアルミに変化するだろうか。 「それにしても、そんな単純な方法で、アルミに変化するとは、思えないんだけれどなあ、、、、。」 「真実とは、そういうものだよ。スタップ細胞もそうだろう。」 「まだ、スタップ細胞に、こだわってるんですか。」 「そうだ、あの小保方さんは、可愛かったな。白い割烹着来てさ、もし、僕のお嫁さんだったらさ、駅前の居酒屋なんかには寄り道なんてしないで、まっしぐらに家に帰るよ。あの居酒屋には、マリちゃんていう出戻りの30代の南沙織ちゃんに似た女の子がいてさ、えへへ、『教授のお髭可愛い―。』なんてさ、言う訳なんだよ、えへへ、もうだからさ、ついつい寄り道しちゃうんだけれど、もう、小保方さんがお嫁さんだった、まっすぐ家に帰っちゃう。」 「マリちゃんは、いいです。それに、南沙織って誰なんですか。」 「えっ、南沙織ちゃんを知らないの。はあー。」とため息をついた。 「沙織ちゃんはね、あ、そうか、もう随分昔のことになるのかな。君の年じゃ、知らなくても仕方がないのかもしれないな。沖縄出身で、すこし日に焼けたミニスカートの似合う可愛いアイドル歌手だったんだ。それが、あの写真家とか何とか言ってる篠山紀信とかいう男に取られてしまったんだ。あの時は、悔しくて、僕も泣いたさ。もう、うえーん。うえーんだよ。」 「もう、分かりました。それに、脱線してます。」 「そうか。兎に角な、あのスタップ細胞にしたってさ。あの後、ドイツの研究チームが、実験を成功させているんだよ。アメリカのハーバード大学の病院なんてさ、アメリカだけじゃなくて、日本でも、スタップ細胞の特許を出願してるんだよ。つまりは、『スタップ細胞は、あります。』っていうことなんだよ。」 「だから、教授、小保方さんのモノマネは要らないです。」 「そうか、似てると思うんだけれどな。」 教授は続ける。 「そういえば、あれも、本当は、どっかの秘密結社に、潰されたようなものなんだよ。可哀想に。もしも、小保方さんが特許を取ってたら、今頃、財布にお金がガッポガッポだったのになあ。可哀想だよ。」 悲しそうな顔をして、ハッと気が付いたような表情になって言った。 「僕は実はエライことをしてしまったかもしれないぞ。金をアルミに変えてしまうんだ。もしこれが金で飯を食ってる団体に知れてしまったら、ひょっとしたら、僕も殺されてしまうかもしれないぞ。」 「その団体って、一体、何なんですか。」 匠も、付き合いで、聞かなきゃいけないのである。 「まあ、FRBあたりか。連邦準備銀行や。世の中に、金が大量に出回ったら、困りそうや。詳しくは知らんけれどな。ある日、家に帰ろうとしたら、家の前で狙われるちゅーこともあるわな。アメリカやから、たぶんライフルやろ。ビルの上から狙うわな。僕が家のピンポンを押そうとしたら、僕の額に、レーザーポインターが当たる。こら驚くで。たぶん、オシッコ漏らすやろ。そこで、まだ抵抗したら、パーンや。」 と、教授は、懐中電灯で、レーザー光線を説明しようと、懐中電灯の光を自分の顔に当てた。 「教授、それはレーザーじゃなくて、懐中電灯です。しかも、怪談の時みたいに、顔が幽霊みたいになってますわ。」 「あー。怖いな。死にたないな。」 教授は、心底、怖そうにしている。 「でも、教授。それは、大丈夫じゃないですか。アルミが金に変わるなら、世の中、金が溢れて大混乱になると思うんですが。アルミが増えても、誰も困らないんじゃないですか。むしろ、金で食べてる人は、金がアルミに変わったら、世界の金の量が減って、却って喜ばれるんじゃないですか。というか、そもそも、金をアルミに変えようと思う人は、誰もいないと思うんですよね。」 「そうか。僕の命は、大丈夫か。まあ、それなら安心だが。まあ、一応は、特許取ること考えとこかな。いや、ちょっと待てよ。今、君は、金をアルミに変えようと思う人はいないとか何とか言ってたな。ということは、僕の発明は、無意味な発明だと言う事を言いたいのか。」 「いえ、無意味とはいってません。ただ、社会のためになるのかというと、そうでもないような。でも、兎に角、金をアルミに変えるなんて、誰も成し得なかった事なんですから、教授は、間違いなく天才です。」 「そうか、そうだよね。ちょっと、自分でも心配になって来てたとこなんだよね。」 そんな会話をしている間も、教授は、椅子に座ったまま目の前の実験台を見ている。 「よし。やるか。」 意を結したように言い放った。 「教授、何をやるんですか。」 「実はな、明日は、奥さんの誕生日なんや。んでな、いつもはプレゼントなんてしたことないねんけど、今回は、この世紀の発明の喜びを奥さんと分かち合いたくてな。長い間、苦労させてきたからね。んでや、この発明を使ってプレゼントを作ろうっていう算段なんや。」 「この発明を使ってプレゼント、、、。」 「昨日の夜に、タンスの中から、金のネックレスを、こっそり持ち出したんや。これは、銀婚式の時に、奥さんにプレゼントした金のネックレスや。」 そう言って、教授は、実験台の上にあるネックレスを、匠に見せた。 チェーンも金で、ペンダントトップに金のコインが付いている。 「結構、高かったんやで。15万円ぐらいしたんちゃうかな。」 「いやあ。さすがに金って、重厚感もあって、それに、やっぱり、色がイイですね。リッチな色っていうか。金持ちの色ですね。」 「これに、電磁波を照射して、アルミに変えるんや。」 「いや。それは、止めておいた方がよいですよ。奥さんは、このネックレスに、思い出があるんでしょ。それを、変えない方が良いと思います。」 「いや、その思い出に、新しい、思い出をプラスしたいんだ。この世紀の発明という、僕の研究してきた成果という思い出をね。」 教授は、真剣に説明した。 こういう場合、どう説明したら良いのだろうか。世の中の女性で、金をアルミに変えて喜ぶ人が存在するだろうか。 答えは、ゼロ人だ。 「その教授の気持ちは解ります。でも、金というのは、高価なものなんですよ。実際このネックレスだって、15万円したんですよね。これをアルミに変えたら、1000円にもなりませんよ。お金だって、アルミは1円ですもん。」 「そしたら何か。君は、僕の想い出や、僕の世紀の発明よりも、お金の方が大切やといいたいのか。」 「まあ。そんなところです。このまま、金のまま、置いておいた方が、きっと奥さんも喜びますよ。」 教授は、ウンウンと頷いてはいるが、僕の話に納得したわけじゃない。 見ると、教授の口がへの字に曲がっている。 どうにも、分かりやすい教授だ。 「しかしな。ネックレスを渡した時に、奥さん1回喜んでるやん。このままやったら、喜ぶの1回やん。これをアルミに変えたら、また喜んでくれるから、このネックレスで2回喜んでくれると思うんやけどな。」 と、僕にも聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。 教授は、アルミのネックレスを、奥さんが喜んでくれることを疑いもしないのだろうか。 「もうええ。匠君の話は分かったけど。僕は、アルミに変える。それが、僕の愛や。」 と、ネックレスを実験台の上にあった電子レンジみたいな箱に入れて、スイッチを押した。 「あーっ。」僕は、思わず叫んだが、既に遅かった。 2分ほど経って、電磁波を照射する箱から終了の音が鳴った。 「チーン。」 電子レンジか。とツッコミを入れたくなった。 教授が、電磁波の箱を開けて、ネックレスを取り出す。 そこには、見事なアルミのネックレスがあった。 「教授。僕にも触らせてください。」 匠が手に取ると、それは如何にも安物っぽく。しかも、アルミだから、軽い。 あの高級な光を放っていた金が、安っぽく軽いアルミに変化したのだ。 社会的には、まったくもって、無意味な発明だ。 とはいうものの、科学的には、世紀の大発明であって、匠は、こころが震えるのを押さえることが出来なかった。 「教授。素晴らしいです。」 そういったが、それは、真実、そう思ったことである。 しかし、これからが問題だ。 果たして、奥さんは、このネックレスを見て、どう思うか。 想像すると、怖くなってきた。 しかし、興奮している僕は、その場を離れたくなかった。 目の前で起こったことに感動していたからだ。 教授も、興奮気味に、この感動を、すぐにでも奥さんに伝えたくて、電話をした。 5分ぐらいで、来るという。 怒るだろうな、そう匠は思っていた。 これは、喧嘩になるかもだな。 そうなったら、即、帰ろう。 実験の興奮と、奥さんの反応を想像した怖さとで、ドキドキしながら、5分を待った。 入って来た奥さんに、教授は、満面の笑みで「これ、プレゼント。金をアルミに変える発明は、この前、言っただろ。その技術を使って銀婚式のネックレスをアルミに変えたよ。今まで、僕を支えてくれて、ありがとう。2回目のプレゼントだよ。」 奥さんは、一瞬、ネックレスを見て、目を丸くして驚いていたが、すぐに、少し優しい笑顔になって、そのネックレスを受け取った。 「あはははは。」急に笑い出す。 「あのネックレスが、こんなのになっちゃったの。うわあ。安物感がすごいね。ほら、軽いよ。軽い軽い。」と言いながら、アルミのネックレスを、ポンポンと手のひらの上で、何回も放り投げる。 その反応を見て、匠は、ちょっと感動していた。 普通なら、怒るところだけれど、それを喜んでいる奥さんが、すごく素敵に見えたのだ。 僕は、その反応を見て、教授への相談は、後日にすることにして、帰ることにした。 教授と奥さんを2人だけにしてあげたかったのだ。 そして、世紀の発明のよろこびを2人で味わって欲しかったのだ。 プレハブの研究室を出ると、玄関の柿の木の実が、さっきよりも赤く熟しているように見える。 帰り道は、下り坂なので、その反動を利用してスキップをしてみた。 ああ、何だか楽しい。 あのアルミのネックレスは、社会的には無価値なものなのだけれど、奥さんにとっては、世紀の大発明の教授の愛の詰まった大切なものなのだろうな。 そう思うと、物の価値というのは、あるようで、人に接点をもったときに決まるのだと、あらためて悟った気がした。 ある人には、無価値。 ある人には、大切。 価値とは、相対的なものであったのだ。 「スキップ、スキップ、ランランラン。」と子供のように、下り坂を走っていると、ふと、冷静になって、金がアルミに変化する理屈を考えてみた。 そして、息の切れた声で、言い放った。 「ありえない。」 それでも、目の前で、実際に金がアルミに変わったのは真実だ。 「不可解な真実は、あります。」 しまった。 僕もまた、小保方さんのモノマネをしてしまった。
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