いくらわたしだって、そんなに容易くはない。

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 新旧入り交じった瀟洒な低層住宅が建ち並ぶ、都心の一角とは思えない贅沢な空間に佇む地上六階建ての小規模マンション。  明るく広いロビーは、観葉植物や鉢植え花が品良く飾られ、座り心地のよさそうなソファが来客を待つ、外部から隔離された贅を尽くした空間。  正面入り口の自動ドアをくぐり抜けたすぐ横では、コンシェルジュが恭しく来訪者を迎えてくれる。  その百七十平米相当のペントハウスで、天井まで前面ガラス張りの開放的な窓からルーフバルコニーを望めば、丁寧に手入れをされた低木と四季折々の花々が目を楽しませてくれるのだ。  こんな場違いとしか思えない豪華なマンションがわたしの新たな住まいとは——無理やり連れてこられたようなものなのだが。  一週間の務めを果たした金曜夜、定時帰りのわたしはお気に入りの小説を片手に、一週間もの長きにわたり冷蔵庫で出番を待ち詫びていた秘蔵のエールをちびちびと舐めながら物語の世界に浸る。  もちろん、土曜日は寝て曜日。どれだけ夜更かしをしようと、目が覚めたらすでに世間が暗かろうが、誰にも文句は言わせない——はずだった。  けたたましい携帯電話の呼び出し音に叩き起こされたのは朝の七時。  こんな朝っぱらからいったい誰がなんの用だ事と次第に因っちゃ許さねえぞ、と、いつになく低い不機嫌な声で相手をされた電話の主にはいささか申し訳なかったとは思うが、うっかりお休みモード設定を忘れたわたしが悪いわけではない。  いや、相手がどうのは、どうでもいい。問題なのは、その電話の主が放ったひと言。 『おはようございますパンダ引越センターです。あと三十分ほどでお伺いできますので、ご準備のほどよろしくお願いします——』  なにそれ?
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