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「いいですよ、わかりました。とりあえず、わたしと婚約だの一緒に暮らしているだのとの話はすべて、手っ取り早くあのお嬢サマの魔の手から逃れるためのデマカセだったということにして——たしかに、そういう口実を使うのはわからなくはないです。でもですよ? いつもなら、女には興味が無いと、それこそ興味の対象はじつは男であるとまことしやかに広まっている噂話まで持ち出して撃退するのに、今日に限ってあんな嘘をつくなんて、いったいどうしたんですか? わたしだって、ちんくしゃだ眼鏡ブスだって罵倒されるくらいのことは、慣れているし傷も付きませんからべつにいいんです。でもね、わたし、殴られたんですよ? 専務があんなこと言わなければ、殴られることも無かったんじゃないですかね?」
「それは……さ、本当に、ごめん。まさかのいきなり暴力は驚いたけど、ごめん。本当に悪いと思ってる。でもね? あんたと別れて社長室へ行ったらすでにあの女がいてさぁ。あんたは来ないし、逃げられないし、兄貴は面白がってるだけで助けてくれないし、ひとりでどうしようもなかったんだよ。だからつい——」
「つい?」
「うん。つい、あんたと婚約したって言っちゃったの」
いかにも純粋で嘘なんて微塵もついていないと語る潤んだ瞳が、わたしを見上げた。
「……嘘だね」
ニヤリと笑みを零すと、言い訳をしたいけれど思いつかないのか、パクパクと口を開けたり閉じたりしている。
「だったらなんで、あのお嬢サマが出て行ったあとですぐ、社長にその場しのぎの嘘でしたって説明しなかったんですか? おめでとうとか言われてありがとうなんて言っちゃっておかしいんじゃないの? あとそれと、社長の言ってた三年だの四年だのって、あれはなんのこと? なんで社長がわたしたちの婚約を喜んでるの? なんで社長は専務の話をまるごと信じてるわけ? 専務? あなたまさか——三年も四年も前からわたしと付き合ってるだのなんだの適当なことを社長に吹聴したりしてませんよね?」
「…………」
「してたんですね? 無言は肯定と受け止めますよ?」
「…………」
背を丸めて肩を落とし、ガックリと項垂れ黙り込む。都合が悪いからってこの態度は——子どもか。
「……疲れました」
はぁーっと大きくため息をつく。
「あーあー、もう会社辞めよっかなぁ」
そうぼやいた途端、わたしに向かって素早く膝行ってきた専務の腕が腰に絡みつく。ぎゅうぎゅうと強い力で締め付け、挙げ句に顔まで擦り付けてわたしの下半身に縋り付いている。
「あーいーざーわー。ごめんなさい俺が悪かったもうしませんお願いだから辞めるなんて言わないで。相沢だけが頼りなんだよぉ。相沢に捨てられたら俺はもう生きていけないよぉ」
まったく。このひとはもう——。
「悪いと思うんだったら、婚約の話、いますぐ社長に訂正してきてください」
「やだ」
「なんで?」
「兄貴だってあんなに喜んでくれたんだよ? いまさら訂正なんてできないよ。それに、相沢だって否定しなかったじゃないか。相沢が言ったんだよ? 婚約は俺と相沢とのことだって。俺が相沢を選んだんだって」
こいつになにを言っても、無駄だ。
わたしは絶望のあまり、思わず天井を仰いだ。
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