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「え?」
ぐるぐる回る頭を無理やり持ち上げて振り返っても、視界に捉えられる人影は無し。だが、俺を追ってきているのはあの女しかいないはず。そこに思い至った俺は、必死で手を伸ばし、彼女のスカートの裾を握り締め、助けて欲しいとの思いを込めて、首を横に振った。
「わかりました」
ゆっくりと頷くその頼り甲斐のある表情に見惚れていると、腰を屈めた彼女が俺の腕を取って自分の肩に回し、背後からもう片方の腕を回してジャケットの裾を割り、腰のベルトをつかんだ。
「申し訳ありませんが少しだけ我慢してください」
その言葉と同時に軽々と抱き起こされ、そのまま非常階段の扉の中へ押し込まれ。
「声を立てないで。ここでじっとしていてください」
囁きがドアの向こうに消えた。
彼女の流れるような動作に驚愕しつつ、これであの女から逃れられたのだ、と、安堵のため息をつく。それにしても。
疲れた。
思考を手放した俺は、静かに目を閉じた。
「……め。かなめ?」
「う……ん?」
俺を呼ぶその声にうっすらと目を開けると、端正な顔が飛び込んできた。
「おい、要。大丈夫か?」
状況がつかめない。あれ?
「女神?」
「めがみ? なにそれ?」
呆れ顔で吐き捨てられ、あらためて周囲を眺めてみればそこは、無機質な非常階段で。目の前にいるのは女神でもなんでもない男、従兄弟の祐司ただひとり。
「ここにいた女の子は?」
「女の子? おまえひとりだぞ? なんだよ酔っ払い。女の夢見てたのか?」
「夢……いや、そうか。そうなのか」
彼女は、酒が見せた夢だったのだろうか?
「呑まされて拉致されたって聞いたときにはもうダメかと思ったけど。いやーなにはともあれ無事でよかったよ」
いや、やはり、夢とは思えないのだが?
「それで? どうして俺がここにいるのがわかったんだ?」
「ああそれ? エグゼクティブフロアで酔っ払いが倒れてるって連絡が入ったんだよ。多分おまえだろうと駆けつけたら当たりだったってわけ」
「誰から連絡があったのかわかるか?」
「さあ? 通りがかった誰かじゃないの? 俺は支配人から聞いただけだからそこまでは」
「そうか……」
祐司の腕を借りて立ち上がり廊下へ出ると、セキュリティをふたり連れた支配人が駆けつけたところだった。
迷惑をかけた詫びを言い、状況を説明しつつ自分の部屋へと戻る道すがら思い出す。
俺を救ってくれた女神は––ハウスメイドの制服を着ていた?
胸に付けていたネームプレートには、たしか、相沢……、と。
その後、従業員名簿を隅から隅まで血眼で浚い、彼女を探し出したのは言うまでもない。
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