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無知は罪。
わたしは、知らなかった。人の恋心を読み取る——それが、誰もが持つわけではない特異な能力の為せる技であることを。
いまにして思えば、幼く純真なわたしが無自覚に放つ言葉は、周囲の人々にとっては、凶器に近かっただろう。あの頃あった痛い目は、秘めたる恋心を打ち明けられたわけでもないのに、そうだとしても容易く他言してよいものではないが——を、あっさり暴露するわたしの自業自得というわけだが納得はしていない。
さて。そんなわたしの能力に気づき面白がった姉は、次々とわたしを問い質すだけではなく、姉の友だちの輪の中へ私を引きずり込んだ。
与えられる褒美の菓子に釣られ、訊かれるまま素直に答える純真無垢なわたし。
「みゆきちゃんはたろうくんがすきなんだよ。でもたろうくんはあやこちゃんがすきなの。あやこちゃんはしんちゃんがすきで、かすみちゃんもしんちゃんがすきで、しんちゃんはおねえちゃんがすきなの。えりちゃんはたくにいちゃんがすきだけど、たくにいちゃんはだれもすきじゃないの」
「えー、優香ちゃんすごいね。そんなにわかっちゃうんだ? じゃあさ、芳樹くんは恵美のこと好きかどうかわかる?」
「よしきくん? えっとねー……、よしきくんがすきなのはゆかりちゃん」
褒められ有頂天になっていたわたしは所詮、幼稚園児。当然のことながらおませな女の子の感情の機微など知る由もなし。つまり、求められていない答えを発することもあるわけで。
それは、残酷且つ理不尽な子ども特有の嗜好の餌食となった。
告白前に失恋した姉の友だちである恵美から逆恨みされたあたり——きっともともと年上の子どもたちにお菓子を与えられちやほやされているわたしが気に入らない勢力もあったのだろう——わたしは気味が悪いと友人たちから避けられ独りになった。それは、進学を機に地元から離れるまで、つまりいまでも続いている。
そんななかでも、裏でコッソリわたしを利用し、要領よく恋愛を謳歌している強者もいた。もちろん、姉だ。
化粧映えする派手な顔立ちに、男好きする肉感的なボディ。身贔屓も多少は入っているが、姉はそれなりに美しい。
但し、性格は、冒険何それおいしいの? という、夢も希望も何もない、超が付くほど現実主義実利主義のちゃっかりものである。
いくらなんでも少しくらい恋愛に対して乙女の憧れがあってもよさそうなものなのに。と、思いはするが、『いつか白馬に乗った王子様が』との夢すら見ない青春を過ごしてしまったのは偏に、わたしという妹の存在が合ったからなのかも知れないが。
気持ちが自分に向いているのをはじめからわかっていての恋愛は、相手を選ぶのも、焦らし、貢がせるのも思いのまま。
やりたい放題の恋愛遍歴を誇る姉は、言わずもがな、未だ独身だ。
いつまでも若いわけじゃなし。適当なところで手を打てばよいのに相も変わらず過去の栄光を忘れられずにいるらしい。
ごくたまに仕方なく連絡を取れば、決まってあんたのせいだと恨み言を聞かされる。しかし、わたしだって姉のおかげでずいぶんと酷い目に遭わされたのだ。
わたしの人格形成に一役も二役も買ってくれたあの姉に同情する気持ちなんて、わたしには、さらっさら、無い。
「ん——、なんだか嫌なことを思い出してしまった」
左瞼もピクピクと痙攣しているし。不吉だ。悪いことが起きる前触れでなければよいのだが。
案の定、資料は私が渡したそのままに捲られた形跡もなく、専務の机の上に置かれていた。時間が無かったわけでもあるまいし、中身のチェックくらいしろよと口の中で小さく毒づきつつ、資料を手に取り部屋を出る。
大理石の床にゴツゴツと、ゴム底ローヒールの鈍い音を響かせながら、今度はエレベーターを使い、上階の社長室へと向かった。
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