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人生の節目ってヤツは、確かにあるのかもしれない。
白い――いや、妙に黄ばんだようなクリーム色に近い天井を眺めながら、人生二度目の入院生活に溜め息を吐いた。
「よっちゃん、元気ー?」
カラカラと引き戸を開けて、姿より先に明るい声が入ってきた。
天井からギプスで固めた右足を吊り、左手も包帯を巻いている俺を見て、『元気』と聞いてくるのも、どうかと思うが。
「おう。今日は早いな」
だが、相手は心待ちにしていた婚約者である。しかも出勤途中に、毎日この病室に寄ってくれているのだ。下手な突っ込みで、彼女の機嫌を損ねたくはない。
「昨夜、お店でゼリー貰ったの。食べるでしょ。ブドウとミカン、どっちがいい?」
真っ赤なノースリーブのシフォンブラウスの上に、白いロングスカート。全体を引き締める黒いレースのサマーカーディガンがセクシーだ。
持参した高級果物屋の紙袋をベッドサイドのテーブルに置くと、中から小丼かと見まごうばかりのデカいカップを取り出して見せる。気の回る彼女のことだ。病院食に飽きてきた頃合いを狙って、口当たりのいいモンを差し入れてくれたに違いねぇ。……多分。
「その前に、お前の紅いモモが食いたい」
「紅いモモ?」
「いいから、こっち来いよ、アンナ」
キョトンとした彼女に手招きすると、意味が伝わったらしく深紅の口角を上げた。
「ふふ。馬鹿ねぇ」
彼女は、ベッドの上に片手を付いて身を乗り出す。俺は伸ばした右腕を肩から回し、背中を抱えながら、柔らかな唇を啄む。彼女を抱けない日が10日を越えた。俺達が同棲を始めてから5年になるが、こんなに離れているのは初めてのことだ。
「寂しい思いさせちまって、悪ぃな」
「ホントよ。退院したら、覚悟してよね」
気の強い彼女のことだ――軽くいなされるかと思いきや、意外にも神妙な面持ちが返る。こりゃ……参ったな。
「早く体力戻して、きっちり満足させてやるよ」
「……よっちゃん」
パイプ椅子にストンと腰を下ろすと、アンナはジッと俺の顔を覗き込んできた。
「あたし、夜のお仕事で良かった。もし昼間のお仕事だったら、夜、独りで待つなんて、耐えられなかったわ」
「アンナ――」
「寂しくて、酒浸りになったり、他の男に走っちゃうかもしれないのよ?」
「お、おいおい」
「だからっ。ちゃんとあたしを捕まえていられるように、元気でいてくれなくちゃ……ダメじゃない」
責める口調で少し早口にまくし立てたかと思うと、突然、ガバとシーツの上から覆い被さってきた。ヒビが入っている肋骨に、鈍い痛みを感じたが、彼女が過ごす独り寝のツラさに比べると大したこたぁ……あー痛てて。
「失礼します、金岡さん。ご面会の方が――」
病棟担当の看護師の声が途切れた。
ハッと身を起こしたアンナは、珍しく顔から火を吹いて俯いているが、別の理由で、俺も固まった。
「直純、何でここが」
明らかに俗世の者ではない、スキンヘッドに海老茶の着物姿の男が、病室と廊下の境界で立ち尽くしている。
振り向いたアンナも、訪問者の佇まいをまじまじと眺めた切り、動きが止まった。
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