金より出でし

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それは世紀の大発見だった。 長年研究され続けていた金の錬成に1人の男が成功した。 その男は製法を黙秘し続けた。 ただ。 その製法を外に話す気はないし、その錬金を自分のためにも使う気はないらしい。 非常に寡黙なその男が唯一言ったことといえば、「自分の目的の過程で誤って作れてしまった」という嘆きのような一言ぐらいだった。 それほどの科学力を持つ男が何を作りたがっているのか。世間は少しざわついた。 金をも作り出したその技術力だ。見当はつかないが、とてつもないものに違いない。 注目の的ともなったその男の名前はあっという間に広まった。 その男は研究室に缶詰が基本で、名前が広まれどその顔その姿を知っている人は少ない。その代わりに容姿だけ有名になったのが助手とも言える男だ。 マスメディアは彼に単刀直入に尋ねた。 あの男は何を作りたがっているのか、と。 助手は一貫して「自分も分からない」と繰り返す。まだ若いその男は表情も青二才で、誰しもが嘘はついていないだろうと判断した。 連日同じことを聞かれては、今まで踏み込む気はなかったその助手も少し気がかりになる。 食事をとる姿すら珍しいその男の空き時間に、助手は聞いてみた。 「先生は何をお作りなんですか?」 男は虚空を見つめながら答えた。 「自分だけが得する、つまらないものだよ」 その研究を続けるための資金集めに出来ちゃっただけだよ、あの金は。 ぼそりとそう付け足した。 換金目的ではなく、資金を集めるための研究報告でしかない。 「……みんな大喜びですよ」 「僕も喜んではいるよ。これでまだまだ研究を続けられる」 なんだかずれた返事なのは今更だ。 「じゃあ、先生。先生の目的まであとどれぐらいなんですか?」 「どうだろうね」 虚ろな返事もいつものこと。 その頭は数式に占められている。無視されないあたり、その男の人となりが出ている気がする。助手はよく分からないこの男のことをとりあえずら思っている。 ◇ 件の男がまた別の発見をした。 否、していた。 助手がいつものように研究室に入るとそれがあった。 骨があった。 人体模型のように吊るされているのではなく、まるで発掘されたかのように机の上に並べられていた。 「先生、なんですか? これ。借り物ですか?」 例えば歴史の専門家から借りてきたとか。 でもそれにしては傷も何もついていない。艶さえあるような気がする。 「借りてないよ。作った」 男は骨に目を向けずに淡々と答える。 「……つくった?」 まさか、と助手は息を詰めた。 錬金術とは、その名は金を作ることを冠しているが何もそれだけではない。 人体錬成。それも可能な範疇だと術師は見込んでいる。 「先生っ、まさか、人体錬成に成功したんですか!?」 目を皿にして男を見たが、その声の大きさに驚いた様子もなく男はまた淡々と答える。 「前から出来るよ、それは」 「そんな、あっさり言わんでくださいよ……。僕初めて見ましたし初めて聞きましたし……」 ん? と助手は首を傾げる。 「ってことは、未発表ですか?」 男は持っていた紙面から顔をゆっくりと持ち上げ、骨を遠目で見た。 「世間が言う『人体錬成』っていうのは暗黙に『個人』の錬成だろう? 僕は人体を作ったんじゃない。人1人分の骨を作ったまでさ」 自律しているわけではない。 男が作ったのはリン酸カルシウムや炭酸カルシウムやリン酸マグネシウムなどの無機物にコラーゲンなどの有機物を混ぜたものにすぎない。それを約200本作ったまでだ。 これは人体と呼ぶには足りない。 「……先生、あの、筋肉とか、臓器とかも作れるんですか?」 「筋肉はタンパク質。アミノ酸を直鎖状に縮合した1〜10万の分子量からなる高分子のこと。構成が丸裸なものは作るのが容易いよ」 おそらく、そちらも未発表だが作ったことがあるのだろう。 下手したら、金よりも前に。 作って、多分悟ったのだ。 これは『人』ではなく『人体』でしかないと。 それも金と同じように試したら出来てしまったにすぎないのか。それとも目的を持って製作を試みたのか。 人体錬成の動機。 人間は作れるのかというクローンの延長戦を試しただけなのか。それとも。 個人を作れるのかと知りたくなったからなのか。 常に忙しくしているし、自分がもう1人いたらと考えたのだろうか。それとも別に理由があるのだろうか。 「……ちなみに、この方は男性ですか? 女性ですか?」 「研究してごらん?」 それはその男の口癖だ。 自分が知ってることを相手が知らないとそう言うのだ。 分かりましたよ、と拗ねたように答えて、助手は骨の細部を観察し始めた。 人体は専門外だが、骨盤で見分けられるという話を聞いたことがある。 そんな会話をしたあと、敷地内の図書館にてその分野の専門書を開いてみた。 見分け方さえ調べれば事足りるが、余分なことまでついつい知りたくなるのは性だ。骨についてのいろいろな知識を吸収しながらふと思う。 骨は状態によってDNAを調べることができる。 なら、あの錬成された骨は誰のものになるんだろうか。 そして、あの男はあれをどう処理するのだろう。 前に錬成した金のように部屋に置いとくのだろうか。あれは他の人骨のように皮膚や皮の下にあったものではない。錬成して即席で作られたような化合物でしかない。 あの男に言わせれば、ただの無機物と有機物の結合体だ。それ用の専門処理をすれば処分できてしまう。 してしまうんだろうか。あの骨を。 してしまったんだろうか。前に作った骨は。 研究室に戻ると、あの男は部屋を出る前に見た時と同じ体勢でひたすら数式なり図式なりを書き散らしていた。 予想通りの光景だ。 助手は帰りに買ってきたスポーツドリンクとゼリー飲料、それから駄目元でおにぎりをその男のそばに置いた。必要のない移動はしないが、目に入ったものや手の届く範囲のものはちゃんと視認してくれる。 その男がペットボトルに手を伸ばしたところで、助手は声をかけた。 「分かりましたよ。あの方、男性ですね」 飲みながら器用に頷く。 「あたり。今回は男だよ」 「先生……あの、これ、どうするんですか?」 男は助手の置いたビニール袋の中を漁りだす。 一つ目に取り出したのはなんと炭水化物で、どうか食してくれと助手が内心強く念じたが、男はつまらなそうに傍に置いた。 二つ目に取り出したゼリー飲料の裏面に目を落としながら、男は答える。 「持ち帰りたいなら持ち帰っていいよ」 「いや、持ち帰りませんよ……。でも、先生、その……変な話ですけど、これを警察とかに見られたらあらぬ疑いをかけられるんじゃ……」 「そしたら、君には迷惑かけないようにするよ」 「いや、それは別にいいですよ。今更ですし、それに助手ですから」 何をやろうとしているのか知らない上に秘密主義な男故に実験等の手伝いをしたことはあまりない。なのでやってるのはまるで家政婦のようなことばかりだが、掃除中にみかける書き殴られた数式やメモ書き程度の仮設などを見て勝手に知識を得ている。そういった痕跡すら隠す習性があるせいでまるで宝探しのようだが、その宝を繋ぎ合わせてもこの男が何をしようとしているのかは分からないままだ。 天才の考えていることはまるで分からない。 とりあえず、足元に及ぶためにも金の錬成にでも着手してみようか。 助手らしく、この男が第一人者だという分野の後追いぐらいはしておきたい。 ◇ 男の書き捨てたような資料をもとに、錬金術についてのまとめや製法を自分なりにまとめてみる。 黙々と作業をし続けているのが珍しいのか、トイレに立った男がついでで覗きにきた。 見た瞬間なにをしているのか分かったのか、男は特に何も言わずにまた自分の作業に戻った。 てっきり口外するなとか言うのかと思ったが、それもない。 本当に興味はないらしい。いまだに世間はその熱が冷めきっていないというのに。 相変わらず不思議な男だ。 そういえば、この男の家族構成すらよく分かっていないのだっけ。 とは言っても、ここで寝泊まりすることもあるぐらいだから家は出ているのだろう。もしかしたら、すでに両親が他界している可能性もあるが。 作業も飽き、男も仮眠を始めたところで、いつものように部屋の掃除を始めることにした。 机の上に置かれたいくつもの分厚い文書や専門書を本棚に戻していく。 当たり前だが、下の方に積まれているのが昔のもので上の方が新しい。 下の書物は人体錬成の記述。 中腹には錬金術の歴史や起源、それから過去の製法などの書物。 時折、関心があるのか『時間』に関する書物が見受けられる。 他にも、一般相対性理論や特殊相対性理論、天体、多世界解釈など。 量子力学的の分野が目立つ。錬金とは違う分野の書物だ。そういう知識もあるんだろうか。 本に混ざって、クリップで止められた程度の紙の束もちらほらと。 新聞や研究資料のコピーのようだ。内容はどれも似たようなものばかり。 そういったものに目を通していると、ふと過去に少し話題になった話を思い出した。 ちょうど、その紙面を発見する。 タイムマシン。 あの時それが話題になったのは、確かそれを研究していた人物が行方不明になってしまったからだ。研究室内に組み立てたタイムマシンを起動させたのち、一人の女性が姿を消している。 なぜそれを成功とは捉えずに事件と世間が認識したかというと、その女性だと思われる遺体が発見されたから。 確か。 これだけ資料が残っているのなら、もしかしてその記事もあるのではないか。 少し机の上を捜索すると、日焼けした紙が出てきた。 例の事件を特集した雑誌の記事のようだった。 そう。 その女性は遺体で発見されたのだ。 骨だけの遺体で。 肉片どころか毛髪すらその骨の周りにはなかった。 骨だけが見つかったというよりも、骨が見つかったのだ。 他の部位だけが時間を飛んだのか。 そんな仮説も建てられたが結局真相は不明のままだ。 その紙の束の一番後ろに、クリップに挟まれた写真があった。 白衣を着た男女が数人、見慣れない装置の前に並んでいる。 その中の一人の女性だけ見覚えがあった。 あの事件の被害者というべきか。行方不明になった女性だ。 こんな写真を持ってるぐらいだから、もしかしてあの男も写っているのかもしれないと思ったが何度確認しても見当たらない。 なら、なぜこの写真を持っているのだろう。 昔は錬金術の学者じゃなかったんだろうか。 あの若さで他の分野も熟知できるはずがないような気がする。才能というより、時間が足りないはずだ。 よく分からない。 分からないが、でも立ち入り過ぎたような気がして、あの男が今すぐ起きても気づかれないように少し机の上に工作した。 ちょうどジャンルごとに分類してたんですよ、と言えばごまかせるようにそれぞれ分けて置いた。 そんな心配も虚しく、男が起きたのはそれから2時間後のことだった。 整えられていない紙をそのままに、操られているかのようにまっすぐいつもの椅子に座る。 「もしかして、掃除した?」 「あ、はい。作業スペースはいつものようにいじってないつもりですけど……何かなくなってますか?」 「いや、大丈夫。問題ないよ。ただ景色が広くなったから」 「掃除と言えば、先生、この人はどうしましょう」 助手は机の上に寝転がされた男性の骨格を指差す。 結局あのまま放置されている。なんとなく上に布は被せてあるが。 「そのうち僕が処分するよ」 「分かりました。あ、そういえば、気になることがあるんですけど。この男性のDNAとかってどうなるんですか?」 男は虚空をぼんやりと見つめた。 変におかしく間を空けてから、「研究してごらん?」と。 答える気はないらしい。 「分かりましたよ」とその場は引くことにした。 「あ、そうだ。僕、これから数日家に帰るから、夜何かあってもここに電話しないようにね」 「あ、はい。でも、珍しいですね。お風呂だっていつも敷地内のシャワー室で無理やり済ませてるのに」 「まぁ。そろそろ虫が湧いてるかもしれないから、その確認にね」 「……何かあったら連絡してくださいね。殺虫剤持っていきますから」 ◇ そんな会話の翌日。 研究室に来ると、例の骨がなくなっていた。 虫が湧くって、まさか、前に錬成した骨から、という意味じゃないだろうな。 ぞくりと鳥肌がちぶるりと震えたところで、ドアが開いて思わず飛び跳ねた。 「突っ立って何してんの?」 「あ、いえ……。あ、先生、骨持って帰ったんですね」 「まあね」 その日も、男は夕方ごろになると家に帰った。 帰るようになってから、男はどうやら別の研究を始めたようだった。 錬金術といえば、所謂『賢者の石』という不老不死をもたらす霊薬は昔から多くの錬金術師を虜にする題材だ。 家に帰った理由は、それに関連する書物を粗方持って来るためだったらしい。男は段ボールの乗った台車を押しながら出勤してきた。 新しい研究材料が見つかったのにもかかわらず、男は缶詰にならずにマメに帰宅するようになった。 それをしった他の研究者に敷地内で会うと、とうとう女でもできたんじゃないのかと誰しもが冷やかすでもなく喜んでいた。 これで少しは人間に近づくと誰しもが口をそろえた。 それにしては着ている服はよれていたり皺が付いていたりと女っ気はまるでない。 これもまた真相は不明だ。 ◇ そんな日が二週間ほど続いたある日。 男が定時に研究室に姿を現さなかった。 体調でも崩したのかと家に連絡をしてみたが、音信不通。 そんな日が三日ほど続いたので、助手は家を訪ねることにした。 男の住処であるボロボロの貸家のドアをノックするが、返事がない。 呼びかけてみても返事はない。 ドアノブを捻るが、鍵がかかっているため開かない。 外出したから鍵を締めているのか、ふつうに戸締りとして鍵をかけているのか。窓から中の様子を確認しようにも、カーテンがしまっている。 なす術なく研究室に戻ったが、やはり部屋に男は来ていない。 事務に行き、連絡が来ていないかと訪ねることにした。 そこにいた女性は「来てませんよ」と。 ただ、何かあったらと渡されていたらしい鍵を受け取った。 数時間前に行ったばかりだが、彼はまた男の家を訪ねた。 中に人がいるような気配はない。 まさか病気で倒れているんだろうか。先程は思いもしなかった予想が自分の中から飛び出し、慌てて鍵穴に鍵を差し込む。 カチャン、という音がして、一つ深呼吸をしてから中に踏み込む。 何かあった時にも対応できるように事前に落ち着いてから中に入りこんだものの、室内はもぬけの殻だった。 普段使われていないキッチン。そして家具らしい家具はほとんどない。 ベッドがあるぐらいだ。本棚は存在せず、すべて床に積まれている。 そんな殺風景ながらも散乱した部屋の中央に構えるのは、ごてごてと飾り付けられた椅子だった。 初めて見るものだが、何かによく似ている。 なんだっけと眉間を摘む。 そうだ。 あの行方不明になった女性が写っていた写真の中央に置かれていた、奇妙な装置に似ている。 それを思い出した途端、思考が全部抜け落ちた。 まさか。 まさか、あの男。 粒子力学や物理学の方面からではなく、錬金術で、つまりは時間を錬成する方法を編み出したというのか。 そんなまさか。 それならあの男が姿を消した理由も納得ができる、なんてことはない。 タイムマシンは存在しない。 できるはずがない。 不可能だ。 そう思われていた金の錬成にあの男は成功しているのだ。 ◇ 男の行方が分からなくなり、とうとう警察が動き出した。 警察の捜索によると、男の行方は犬の鼻を使っても辿ることはできないらしい。 世間は数年前に見た記憶のある謎の椅子に既視感を覚え、あの事件の再来だと騒ぎ立てた。過去の功績があるせいか、大衆は時間移動に成功したのではないかとあの男を讃えた。もうその男はどこにもいないが。 そんな情報に踊らされず地道に続けられていた警察の捜査は進展したらしいが、男の関係者ということで事情聴取にたびたび訪れる警察官の表情は少し強張っていた。 どうしたのかと訪ねると、重々しくこう答えた。 「彼のものだと思われる骨が発見されました」と。 「DNA鑑定とかで身元が分かるんじゃないんですか?」 警察はほとほと困り果てているらしく、もはや気力なく笑うだけだった。 「DNAというのは熱に弱いんですよ。火葬された骨からDNAを抽出するのは困難を極めるんです」 もしかして、と呟くと、頷かれた。 「その骨は燃やされた後でした」 「……確か、歯型とかって」 「歯は全部折られてましたよ。どうやら犯人は身元を特定されたくはないようです」 「……」 「背丈が一致するぐらいしか共通点はないんですが、その燃やされた場所というのがあの男家の近くの空き地でしてね。前にも似たような事件がありましたし、そう判断するのもおかしくないんじゃないのかというのが今のところの見解です」 骨だけになった理由はさっぱりですがね、と匙を投げたように付け足された。 ◇ 一人用の部屋と化してしまったいつもの研究室を片付ける。 掃除ではなく、遺品整理として。 研究資料は引き継ぐつもりなので処分するつもりはないが、あの人の考えていることは高尚すぎてまだまだ追いつけそうにない。 自分はまだ金の錬成すらできないというのに。 湧き出てくるのは焦りだった。 早く研究を重ねて、自分も何かなし得なければ。 そんな気持ちに急かされながらあの男の痕跡を部屋の隅へと収納していく。 あの男はメモ書きを積むとか束ねるとか、そういう習慣はまるでない。いらなくなったら払いのけるのだ。 だから足元にも散乱している。 その紙を拾い上げていると、ひとつのメモが目に付いた。 あの男がたびたび口にしていた言葉。 研究してごらん。 その一言。 それは紙の隅に、でも大きく書かれ、さらには丸がつけられていた。 紙の中央に書かれているのは、どこかでみたおかしな椅子。 細部情報などの書き込みはない。 ここで確信した。 あの男は、どこかの時間に飛んだのだと。 それが未来なのか、過去なのか。それはこれを錬成すれば分かることなのだろう。 あの男に追いつくためにも、まずとりあえず。 金を錬成するところからだ。
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