35人が本棚に入れています
本棚に追加レンタル彼氏
「……」
「……」
どうしてこんなことになったんだろう。
僕は冷や汗をかきながら目の前の彼を見つめた。
「……稔。何で、こんなの頼んだの?」
「いや、それは加藤が言えたことじゃないだろ……」
待ちに待った給料日。僕は入りたてのお金を銀行でおろして、とあるサービスに電話をかけた。
『はい、レンタル彼氏サービスです』
「あ、もしもし……初めての利用なんですけど……」
レンタル彼氏。
お金を払って男の人をレンタルして、買い物とか映画とか、そういう「デート」をしてもらうサービス。女性の利用客が多いらしいけど、ここは男性も利用可能だってサイトに書いてあった。だから、僕はここを使おうと決めたのだ。
「今から、デートをお願いしたいんですけど……」
『かしこまりました。御指名等、ございますでしょうか?』
「いえ、誰でも……あ、出来れば話しやすい方が良いです。それから僕は今スーツなんで、できればそっちの方もスーツでお願いしたいです……会社帰りみないな感じで……」
『承知いたしました。では、待ち合わせ場所は……』
待ち合わせ場所はここから二駅離れた映画館の前に決まった。
僕はどきどきしながら映画館に向かう。顔も名前も知らない人と会うんだ。緊張する。けど、決して安くないお金を払うんだから楽しまないと……! そんなことを考えていると、電車はすぐに目的の駅に着いてしまった。僕は高鳴る鼓動を周りに悟られないように、少し俯いて改札まで向かった。
「あれ? 稔?」
「加藤……!」
映画館の前で、思いもがけない人物と遭遇した。加藤。大学で同じ学科だった友人だ。卒業してからも、時々遊ぶ仲。そんな彼と、こんなところで出会うなんてすごい偶然だ。
加藤はスーツ姿で、手にはスマートフォンを握っていた。仕事帰りだろうか。普段着の彼しか見たこと無い僕は、その新鮮さに少し目を奪われた。
「映画、見るの?」
「いや。人と待ち合わせ。そっちは?」
「僕も待ち合わせ」
「そっか。偶然だな」
「そうだね」
ざわざわと映画館の前は騒がしい。僕たちはお互いの声が良く聞き取れる距離まで近付いた。新作映画の真っ赤なポスターが僕たちを見つめている。僕は腕時計を見た。午後七時。待ち合わせの時間だ。そろそろ電話がかかってきても良い頃。待ち合わせをしてもお互いの顔を知らないから、向こうから電話がかかってくることになっているのだ。
僕は鞄からスマートフォンを取り出した。
~♪
その途端、僕のスマートフォンがメロディと共に震えた。ああ、レンタル彼氏からだ。どきどきする。僕は通話ボタンを押した。
「もしもし」
『……』
「もしもし?」
あれ? 聞こえにくいのかな?
ふと、こっちを見つめる加藤と目が合った。信じられない、みたいな顔をしている。僕は首を傾げた。
「加藤?」
「なんで……なんで、お前が出るんだよ……」
加藤は僕にスマートフォンの画面を見せてきた。そこには、僕の社用の番号が表示されていた。
「……」
「……」
そして冒頭に戻る。
僕たちは気まずさを隠しきれずに視線をあちこちにさ迷わせた。沈黙を破ったのは加藤だ。
「……とりあえず、あの喫茶店入るか」
「……うん」
「その前に、ちょっと連絡入れる」
「どこに?」
「店」
加藤は僕に背中を向けて、電話をかけ始めた。
「はい……はい。じゃあ、キャンセルってことで……はい。それじゃ、俺はこのまま直帰しますんで。はい」
キャンセルって……レンタル彼氏のこと?
そんなことしたら、加藤の収入が減るんじゃ……?
加藤は息を吐いて僕に向き直った。
「それじゃ、行くか」
「……うん」
僕たちは喫茶店に向かって歩き出した。ざわざわとする喧騒の音が、とても遠くに聞こえた。
***
「で、何でこんなの使ったの?」
運ばれてきたコーヒーに口をつけることなく、加藤は僕に訊いてきた。
僕は適当な嘘も思いつかず、洗いざらい正直に話すことにした。
「……恋人を作る練習がしたかった」
「恋人? お前、もしかして……」
「うん。恋愛対象は男」
「そっか……」
「うん……」
沈黙。
そりゃあそうだろう。知り合いからこんなカミングアウトを聞かされたら、誰だってこうなる。僕は沈黙に耐えられずにカップに口をつけた。苦い。苦くて寂しい味がした。これで友達がひとり減ってしまう……そう思っていたけど、口を開いた加藤から出て来たのはとんでもない言葉だった。
「実は、俺もなんだ」
「……へっ」
「男が、好き。だから、こんな副業やってる」
僕は驚いて加藤の顔をまじまじと見つめた。その瞳に嘘は見られない。そっか、僕だけじゃなかったんだ……そう安堵の溜息を吐いた途端、額を指でぐりぐりつつかれた。
「い、痛い!」
「まったく……こういうことに金使うなよな」
「だって、僕、彼氏居たこと無いし。こうでもしなきゃ出会いとか無い……」
「馬鹿。客との恋愛なんか許されるわけないだろ?」
「そりゃ……」
「まったく。こんなことなら、最初から俺から言っとけば良かった」
「何を?」
「鈍い!」
そう言って、加藤は僕の左手を握って来た。熱い。加藤の手って、こんなに大きかったっけ……。
「どうする? 今なら、無料で彼氏になれるけど?」
「……は」
「正直、ずっと稔のこと狙ってた」
そんな、急に言われても……。
加藤はずっと友達だと思ってたし。いきなり彼氏だなんて……。けど、このチャンスを逃したら、僕に二度と出会いは無い気がした。
「……手を、繋ぐことから始めてくれるなら」
「オーケー。じゃ、行こっか?」
「どこに?」
「デート」
立ち上がった加藤の背中を、僕は慌てて追いかけた。広い背中。どきどきする。
財布の中には、レンタル彼氏に使う予定だった大金が入っている。今日は、これを使ってデートを楽しもうかな。
喫茶店を出て、立ち止まった加藤の顔を見た。
彼は笑顔で僕に手を差し出してくる。それを僕は緊張しながら、きつく握った。

最初のコメントを投稿しよう!