すれ違い、惑う心

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身一つで。 初めから、どうでもいい存在の女が、あれだけの罵倒を受けて命があるだけマシというものだ。 ……勿論それは建前だと、知っているけれど。 自らが手を下す価値のない女。 見たくもなければ触れたくもないと、明らかな激しい拒絶をした夫は、わたしの生に引導を渡す慈悲さえくれなかった。 行くあてもない。 無一文で放り出される恐怖も、ないわけじゃない。 けれど、そんな人間らしい感情を持つ意味も、もうなくなるのだ。 無価値で、透明な存在で、他人以下に貶められた女。生きる意味を捧げていた夫を失うのなら、この世に留まる理由はなかった。 読まれることは期待していない。 これは、ただの自己満足だと分かっている。 だけど、最期くらいは、一言も告げれなかった思いの丈を吐き出してもいいだろう。 ……死に行く自分が生きていた証の為に。 夫宛の手紙と、わたしが確かに貴方の妻だったという証拠の結婚指輪とを、執事に託す。 彼は悟っていた。 わたしがこの先の未来を放棄していることを。 立場上、彼がわたしを引き止める権利はない。せめてこれだけはと、無理やり押し付けて来た一片の紙切れと数枚の金貨。 断ることも出来た。 身銭を切ってもらう理由もない。 それを、分かっていながら受け取ったのは、 彼の思いを無駄に出来なかったのと、傷付き、立つことすら精一杯だった自分の心に、彼だけが優しく触れてくれたから。
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