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思い描いていたような、甘くて幸せな結婚生活ではなかったけれど、淡々と過ぎ去る日々の現状に、たぶんわたしは満足していたのだろう。
愛する夫の妻である立場。
それは他の何ものにも代え難い尊いもので、くだらない噂に翻弄されるような脆弱なものではない。
自分だけが得られた使命。
生きる意味だと断言出来た。
だからかもしれない。
見て見ぬふりを通していたのも、許せていたのも、妻の座に固執する自分の愚かさや弱さを隠す為のツールだったのだろう。
「 “あちら様 ” より奥様へ手紙が届きました」
それが瓦解するのは思いのほか早かった。
名ばかりの妻、夫に見向きもされない妻に対する愛人からの宣戦布告は、簡潔で分かりやすい形で表されている。
『 妊娠しましたので別れて下さい 』
その一行を読んだ瞬間、全身が震えるほどの衝撃を覚えた。次いで、頭を鈍器で殴られたように痛み崩れ落ちる。
『 まだ彼には伝えておりませんが、遅かれ早かれ気付かれることでしょう。これは、わたしから奥様への慈悲でございます。捨てられるより、自らのご意思のもと去った方が矜持が保たれると思います。良き決断をお待ちしてますわ 』
何てことだろう。
思わなかったわけじゃない。
けれど、出来るだけ考えたくなかった最悪な現実を突き付けられて、嘘だなんて、まさかなんて、どう言い逃れしようが事実は変わらなかった。
ガラガラと、わたしというものが崩壊する音がする。
所詮、砂上の夢だったのだ。
少しの風が吹けば飛ばされて、散り散りに崩壊するそれを必死で守ることにより、夫を繋ぎ止めれた気になっていただけで。
暴風にはなす術がない。
跡形もなく一瞬で消え去ってしまうのだ。
幻影のように儚く、誰にも気にかけてもらえぬまま、闇に溶けていく。
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