第18話 リックとアロモ

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第18話 リックとアロモ

 深い沼にどこまでも沈んでいくような気がした。底にはいつまでも辿り着かず、自分の体がどこかへずぶずぶと引き込まれている。光はなく、ぬるい暗闇の果てまで沈んでいくことを止められない。  ――オート様、オート様! しっかりして下さいませ、オート様!    遥か上のほうから、泣きながら自分を呼ぶ娘の声が聞こえる。始めはくぐもってよく聞こえなかったその声が、やがてはっきり耳に届くと、その瞬間に光が見えた。 「オート様、よかった……!」  目の前には、泣きじゃくるフロールの顔があった。沼に沈むと思った体は、塔の背後にあった珊瑚樹の生垣に埋もれていたようだった。珊瑚樹の上には無残に枝の折れた楠が見え、オートはもがくように生垣から抜け出したが、全身に激痛が走ることに思わず蹲った。  ――これは骨の何本か折れているか、ヒビが入っているな。 「オート様! 大丈夫ですか?」  オートは心配そうに肩を支えたフロールの寝間着の裾が裂かれ、手が傷だらけになっていることに気付くと、咄嗟に自分の体を見渡した。すると体のあちこちに、丁寧に布を巻いて止血した跡があった。 「マルグラント様が私にオート様をお探しするよう仰って、警備の兵士に聞いたらオート様は塔に入ったきり出てきていないと言うし、その兵士も何だか慌てた様子で、でも、さっき塔の裏から大きな音がしたというから、まさかと思って」  フロールは何度もしゃくりあげながら、これまでの状況を説明した。何よりサメロの様子にはオートも息をのみ、何も知らない少女がたったひとり、どれほどの思いで自分を探したのかを考えると、未だ震えている小さな肩を抱き締めずにはいられなかった。 「さぞ恐ろしかっただろう。手当てをしてくれて、本当にありがとう」 「サメロ様は石に取り憑かれていらっしゃいます。マルグラント様が……」 「わかった、俺が塔に戻る。君はこのまま裏道を通って城に戻り、異変があれば侍女たちだけでも逃げるんだ。スクーロの石使いに出くわしたら、降伏して保護してもらうといい。降伏すれば、彼らはきっと手を出さない」 「でも勝手に降伏なんてしたら、後で王室からどんな仕打ちを受けます」 「君も見ただろう。妄執に取り憑かれた主君の言うことなど、聞く必要ないんだ。まずは自分の命を守れ。大丈夫、マルグラント様のこともサメロ様のことも、きっと俺がお助けする。さあ」  オートがフロールの肩を強くゆさぶると、フロールは涙を拭って頷いた。 「わかりました。オート様、どうかご無事で」  フロールは毅然と立ち上がり、城に向かって駆け出した。オートから姿が見えなくなる前に振り向くと、深々と頭を下げ、再び夜明けの道を走って行った。  オートは軋む体を引き摺りながら、塔の正面へ歩き出した。全身が傷だらけにも関わらず、五感は妙に研ぎ澄まされ、周りに生えた草木と土の匂いが生々しい。生きていることを不思議に思ったが、助かったと言うよりも、死ぬことを許されなかったように感じていた。
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