第19話 約束

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 オルトドクは己の胸に刺さった短刀を見て、初めて事を認識したようだった。あたりに響き渡るような叫び声を上げ、救いを求めるようにオートへ近寄ったが、オートはオルトドクのこの世のものとは思えぬほど恐怖に引き攣った顔を見て、怯むように後ずさった。 「痛い痛い痛い、助けてくれ!」  そう言って両手を短刀の柄に添えたオルトドクに、オートは声を張り上げた。 「いけません! ここで抜いては……」  その言葉はオルトドクに届かなかった。彼は柄を握ると、一息に剣を引き抜いた。途端に胸から血が噴き出し、それを待っていたかのように蛇が群がった。そのままオルトドクが後ろに倒れると、彼の体を覆うように蛇が絡みつき、言葉にならない呻き声を上げてもがいていたオルトドクの体は、あっという間に動かなくなった。  オートは成す術なく目の前で絶命した二人の死体を見つめていた。それはこの世で最もおぞましい死に方で、最早自分は死んでいて、ここは愚者が葬られる地の底ではないのかとさえ思った。  すると石のように固まっていたオートの体にも次々と蛇が絡みつき、一匹が喉元に嚙みつこうとしたが、そこで不意に我を取り戻した。素早く蛇を掴んで力の限り壁に叩きつけると、蛇は煙を散らすようにかき消えた。 「たとえ幻想でも、心根が弱ければ命を奪われるということか」  オートはもう怯まなかった。自分が生きていることを確信すると、洪水のように押し寄せる蛇を踏みにじり、体に這い上がる蛇を引きちぎりながら、一歩ずつ階段を上り始めた。   ◆  サメロは気を失ったマルグラントの頬に手を添えると、そこに積もった砂埃をそっと拭った。砂に塗れたその顔は尚美しく、花弁のような唇は微かに震え、まだかろうじて息がある。 「最初は君が母上に似ているから惹かれるのかと思っていた。しかしそうではなかった。君は母上とは全然違う……君ならきっと、愚かな私を救ってくれる」  サメロが覗き込むようにマルグラントの頬へ顔を寄せようとしたところで、背後に殺気の降り立つ気配がした。刺々しくも凛としたその気配だけで、それが誰かはすぐにわかった。 「マルグラントから離れろ。それ以上、手を触れるな」 「伯爵……先ほどの一撃では死ねなかったのか。雑草のようにしぶといものだな」  振り向いたサメロの手にある紅の石が鈍く光る。それはサメロの力に反応したのではなく、アロモの力に応えて光ったようだった。 「温室育ちの貴様とは違うからな。俺はこれまでに何度も死に損なってきたんだ。今更、こんなことで死んでたまるか」  目の前に現れたアロモは全身を血で赤く染めたまま、平然と笑っていた。その姿にはサメロも内心で感服したが、既に石は体の一部のようで、彼に返す気にはなれなかった。アロモの足元から風が巻き起こり、鈍い光でくすぶっていた紅の石が鋭い輝きを放つ。本来の主人を選ぶように石がアロモのもとへ引き寄せられたが、サメロは石を放さなかった。
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