第1話 天空の砦

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「厄介なことばかりだ」  それは聞き覚えのある声だった。背中にひんやりとした石の感触と強い痛みを感じ、リックは目をきょろきょろさせて辺りを窺った。 「生きているか?」  声の主が、リックの顔を覗き込む。真直(しんちょく)の黒髪を後ろで束ね、鋭い三白眼は漆黒の瞳。それと同じ闇夜のような燕尾服を着た痩身(そうしん)の男を見て、リックは思わず飛び起きた。 「父さん!」  リックは父の顔にほっとしたが、男は怪訝そうな顔をした。 「誰が父さんだ。俺に子供はいない」  ぎらりと光る目で睨まれ、冷たく言い放たれた言葉はリックの胸を突き刺した。しかし男の顔をよく見れば、父より随分若いことは確かだった。 「あなたは、アロモ・ノヴェンブロではないのですか?」 「いかにも。俺はアロモ・ノヴェンブロ伯爵である。しかしそなたのことは知らんし、そなたのような大きい子供がいる歳でもない」  彼が言う通りとても十三になる子供がいるようには見えなかった上に、伯爵と名乗られたことにも面食らった。父に爵位があるなど、聞いたこともなかった。 「偶然かもしれないけど、僕の父の名前はアロモ・ノヴェンブロと言います。母の名前は、マルグラント・ノヴェンブロ……」 「マルグラント!」  アロモは勢いよくリックの両肩に掴みかかると、じろりとリックの顔を覗き込んだ。 「俺とマグの間に、子供ができるのか?」  驚きと戸惑いと、少しの嬉しさが入り混じったような顔でアロモが言う。 「そう、それで僕の名前は、リック・ノヴェンブロ」 「リックだと? 信じられんが、するとそなたはずっと先の世界から来たということか。確かにそなたの目の色は、マルグラントから受け継いだものに違いないな。その銀色の髪も、俺とマグの髪色が混ざったのか……」  リックの空色に光る瞳を見て、アロモは微笑んだ。しかしその笑顔にリックが安心したのも束の間で、アロモは顎に手をやると、みるみる考え込むような顔になった。 リックを半眼で睨むと眉根を寄せ、次に首を捻り、何を言っているのか聞き取れないほどの小声でぼそぼそと独り言を呟くと、最後に目を閉じて、ふむ、と頷いた。 「何がどうなっているかはわからんが、俺とマルグラントは未だ婚約中の身だ」 「ほら! 婚約って、結婚するってことでしょ」 「何事もなければそうなるはずだった。しかし最悪の事態が起こってしまったのだ。そなた、自分が今どこにいるのかわかっておるのか?」  思い出すより早く、全身がざわざわと粟立つ。自分は空に転げ落ち、空中に浮かぶ砦に激突するはずだったのだ。
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