第6話 賢者の憂鬱(上)

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第6話 賢者の憂鬱(上)

 書見塔総司書ヴィント・サズーロは塔の最上階にある重い扉を閉め、三重に鍵を掛けた。真鍮の古い鍵束を懐に隠すと、それ以上にずしりと重いものが胸の上にのしかかる。息苦しさに深いため息をつき、(ちり)に汚れた眼鏡を外した。   *  王室から秘密裏に使者と石使いがやってきて、マルグラントと引き換えに禁書を渡すよう要求されたのは、ひと月ほど前のことだった。 「あなた方はそうして伯爵からも石を奪ったのですか。そもそも王室側に付く石使いがいるとは驚きましたねえ。マザレ学長が知れば何と言うか」 「マザレ様は知ってますよ。もう何人もスクーロを離れてるんだ。あの方に、もう以前ほどの統率力なんてないのさ。アロモ様がスクーロとの(えん)を断ったときからね」  石使いの言葉に、使者はくつくつと嫌な笑みを浮かべた。 「案外、書見塔もそうなのではありませんか。そうでなければ一番目をかけて育てていたマルグラント様が、その恩も立場も捨てて伯爵の元に走ることなどなかったのでは?」  ヴィントはすっと姿勢を正すと、眼鏡の奥の目を細めた。極度に冷めた理知的な目つきに、使者と石使いは気まずく視線を逸らした。 「そうですね、あなた方も今すぐ返事がもらえるとは思っていないでしょう。この件については後日、私から城に出向きます。サメロ殿下とお話をしたいのですが」 「サメロ様にはどなたもお会いできません。我々がひと月後にまた参ります。返事はそのときで構いませんが、禁書をお渡し頂けない場合は別の手段を使うことになります。よくお考えください」  使者は、既に目的のものは自分たちの手にあると言わんばかりの態度だった。   *  ヴィントは執務室の片隅にある、埃を被った指しかけの遊戯盤(ゆうぎばん)を見た。どちらも王の駒を頑なに守ったまま、少しも譲る気配がない。この遊戯において書見塔では無敵の自分と、ここまで対等に渡り合った相手はサメロだった。  サメロはヴィントが総司書の座に就いてから、度々ここを訪れた。彼の興味は多岐に渡り、ヴィントは史料や古文書の解読法を教えることと引き換えに、自分の楽しみに付き合わせた。それを快く引き受けたサメロは最初こそあっけなく負けていたものの、回を重ねるにつれて確実に強くなっていった。  次第に短い時間では投了できず、盤をそのままに次の機会へ持ち越すことも多くなった。しかしグランダが病に()せるようになってからは彼も王室の一員として忙しい日々を送ることを余儀なくされ、ヴィントの元を訪れることも少なくなった。  サメロが最後に自分を訪れたのはいつのことだったか。盤に厚く積もった埃を見ながら、ヴィントは必死に記憶を辿った。  ――大変申し上げ難いのですが、そろそろお時間です。  互いに食い入るよう盤を見つめていたところに、側近であるオートが申し訳なさそうに声をかけてきたことを覚えている。騎士のように堂々としていながらいつも物腰の穏やかな彼は、自分とサメロが長く指し合っている間も、ずっと傍らに立っていた。
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