第15話 秘密の花園(下)

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第15話 秘密の花園(下)

 それは、オートがサメロの元へ来て一年が経つ頃のことだった。春も終わりにさしかかった麗らかな日に、サメロの出立準備を待っていたオートは城壁をぐるりと一周していたようで、門の前で首を捻らせていた。 「待たせてすまなかった。どうかしたか?」  城から出てきたサメロが声をかけると、オートは笑顔で一輪の花を見やった。 「いえ、たいしたことではありませんが、ここに雛芥子(ひなげし)の花が咲いていたものですから。それも野山でよく見かけるような橙色ではなく、観賞用に植える桃色の雛芥子です」 「ほう、詳しいな。草花が好きなのか」  サメロは雛芥子を見て眉を上げた。その桃色には見覚えがあり、最後にそれを見たのは、もう三年も前のことだった。 「母が好きなんです。趣味で庭をいじることをよく手伝わされていましたので、自然と覚えてしまいました。これもよそから種が飛んできたのでしょうが、城の庭園でもこの種は見かけたことがありません。どこから飛んできたものかと思っていたのですが、どうやらサメロ様にはお心当たりがありそうですね」 「そうだな。よもやとは思うが、近いうちに君を連れて行こうか」 「どこにです?」 「私の、秘密の庭だった場所だ」  サメロの背丈が伸びた分だけ、雑木林の獣道は以前より狭く感じ、通り抜けるのは困難だった。しかし自分よりずっと体の大きいオートのほうが酷く難儀しているようで、もがきながら体を捻ってすり抜けようとする様は愉快だった。  笑いながら道につかえる彼の手を引き、ようやく明るい場所に辿り着くと、目を見張った。それは荒れ野にこぼれ種が花を咲かせているだけの様子を想像していたサメロにとって、目が潤むほど愛しい景色だった。  件の雛芥子をはじめ、(スミレ)二輪草(ニリンソウ)、オダマキ、黒種草(クロタネソウ)と、まだ咲き始めたばかりのラベンダ。地面は愛らしい白詰草(シロツメクサ)にびっしりと覆われ、健気な野バラはまだ生きていて、小さな蕾をたくさん付けている。  多くの草木が虹のように色を重ねて花を咲かせ、雑草と思って抜いていたカタバミや露草(ツユクサ)、カラスノエンドウさえ美しい。久しく忘れていた土の匂いは懐かしく、植物が放つ湿った空気を胸一杯に吸い込んだ。 「城のすぐ近くに、こんな場所があったなんて!」  オートは突然開けた光景に感嘆の声を上げると、臆することなく草花に埋もれた道なき道を進んで花園に入って行った。  よく見れば、サメロが持ち込んだ花もすべてが生き残っていたわけではない。弱いものは淘汰され、強い種だけが生き残り、更に数を増やしている。花々の上では鮮やかな翅を持つ蝶が何種も舞い、近くを蜜蜂の羽音が通り過ぎた。  呆然と佇んでいたサメロの元に、ひと回りしてきたらしいオートが声をかけた。 「多少野性味に溢れ過ぎる気もしますが、母が見たら羨むだろう見事な庭です。いつの間に手入れされていたんです?」 「いや、私は何もしていないんだ」  それからサメロは淡々と、三年前に自分がここで起こした出来事を話した。思い返すと苦い記憶まで蘇り、途中で何度も言葉に詰まった。
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