ふぁーすとこんたくと

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ふぁーすとこんたくと

 ――無条件に自分だけの聖域を求めてる。汚したくないって。でも、あいつは俺のじゃないのにな。  小さな背中と柴犬の尻尾みたいな髪の毛が、ゆらゆらと揺れてる。黒板を消そうと限界まで手と足を伸ばしてるようだ。だが、どう頑張っても黒板の一番上をあの小さな三級生(中等部三年生)が消すのは無理だろう。物理的に考えて。特別教室の黒板は部屋の名前の通り黒板も他よりデカく出来てて、それがよりいっそう目の前の背中を小さく見せた。  なんでこんなちっさいヤツがこんなデカい黒板消してんだろ。誰か他にいるだろ。ついと視線を巡らせる。 「おがみせんぱいっ! プリントまとめれましたか?」  目が合った。名前も知らない女。 「プリント見せてあげましょうか?」  人工的なぶっとい睫毛とグロスでてらてらと光るでかい口。可愛い部類に入るだろうその女は、俺に媚びを押し売りしてくる。プリントなんていいから黒板消すのお前がやれよとは、さすがに言わないけど。もしかしたら三級の女子が当番制で消してるのかもしれないし。きゃらきゃらと煩い女に、アーハイハイと返事をして、また椅子に座り直す。 「センパイ、眠いみたい」  その後も女は勝手に喋り続けてたけど、無視してやったらどこかに消えた。最後に見当外れな声が聞こえて、顔が歪むのがわかった。でも、自分の面目は潰さない。可愛いのは嫌いじゃないが、あざとい女は嫌いだ。残念な事に、俺の周りにはそんなタイプしかいないわけで。  俺はギターは弾けないから笑い話にもできない。誰もいなくなった教室で、ちっこい女子は黒板の前に椅子を引っ張ってきた。黒板なんて放っときゃいいのに。危なっかしい。 「なァ、」  近付いて声を掛けた。瞬間、俺の存在にビビったのか、女子の肩がビクリと揺れて椅子から足を踏み外した。 「ッぶね……!」  思わず手を出して女を受け止める。一緒に倒れるかもとも思ったが、女子は予想外に軽く、おまけに小さかったため、倒れる事はなかった。俺の腕にスッポリと収まったまま女子はノロノロと顔をあげた。ぱちくりと目を瞬かせて俺の顔を見つめる。……むかし、友達の家で見たハムスターみたいだ。っていうのが第一印象。女ってよりコムスメって感じ? 「……あ、りがとうございました……?」  まだ状況が把握出来てないみたいな顔して、それでもコムスメは小さく礼を言った。腕の中でみじろぐ小さな躰をなんとなく離したくなくて、抱き締める腕に力を込める。 「ぁ、の、」 「…………」  白い頬がちょっと赤く染まって、困ってるのかくりくり眉が動いてる。……可愛い。仕方ないから離してやって、それからコムスメが消そうとしてた黒板の高い位置の文字を消してやった。コムスメはネズミのように逃げるかと思いきや、またパチパチと瞬きをして今度は意志をもった声がした。 「ありがとうございます」  やんわりと微笑んだ顔を見た瞬間、心臓が締め付けられるような錯覚に陥って唇を噛む。なんだこれ、なんだこの感じ。 「俺、赤鋼拝(あこうおがみ)っていうんだけど」  気付いたら、オレは滅多にしない自己紹介というものをしていた。
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