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そのよん:【パンを】ラス、邂逅【くれ】
初めて見たリシェは、外見に似合わずある種の英雄だった。彼の姿は、鮮明に自分の脳裏に焼き付き完全に離れてくれず、今でも明確に思い出す事が出来る。
自分は何の目的も見出せないまま、いつも通りの学生の生活を送っていた。これからもそれが続くと思っていた。
刺激の無い単調な毎日に飽きて、仲間と一緒に街の外に出た時があった。
少し遠出してもすぐに走って戻ればいい。アストレーゼンの街の外は様々な魔力が淀む場でもあるのは分かっていたが、あまりピンと来なかったのだ。
その甘さが不運を招いてしまった。
魔力に当てられ、凶暴化した獣に襲われてしまう。誰しもが外に出た事を後悔し、ここで死ぬのだろうと思っていた。
すると、眼前でかまいたちのように獣が引き裂かれ事無きを得た。美しく光る剣が目の前で舞い、赤黒い血飛沫が空中に飛び散ったのを見た。
そんな中、屈強な男に紛れて一際目立つ小柄な剣士の姿は力無くへたり込んだラスの脳裏に強烈に印象付けられてしまう。
気がつけば、ボロボロになった自分らを、通り掛かった剣士達が救ってくれていた。
「ここは武器を持たない奴が出られる場所ではない」
自分と似たような年頃の彼はそう言った。
目を奪われるような甘い容姿にも関わらず、不釣り合いな剣士の姿にラスは心を完全に奪われてしまったのだ。
…そんな意味不明な強さを持っていた彼が今、目の前で困った表情を浮かべながらこちらを見上げている。
手には牛乳パックのみ。
「先輩、また牛乳ですか?」
「………」
「先輩が食べたそうなパン、見繕って先回りして買ってきましたよ。さあ、どれにします?」
「だからパンがいつもより早く売り切れていたのか!」
「売店のおばちゃん、俺には甘いんです。一人二個までの限定だけど、特別に五個買えました!さあ、どれにします?先輩の為に買って来たんですよ!」
クリームパン、焼きそばパン、ピザパン、チョココロネ、カレーパン。
屋上でリシェと向かい合いながらパンを並べ、ラスはドヤっていた。
結局購買で売り切れの知らせを聞き、ショックを受けながら仕方なく屋上にとぼとぼ上がったリシェは、待ち受けていたラスに迎えられてパンを見せつけられていた。
「代金は払う。クリームパンをくれ」
「お代はいらないですよ。クリームパンだけ?」
「いや、払う。焼きそばパンも」
「いらないってば。その代わりにお願い聞いてくれますか?」
財布を出そうとしたリシェを止め、ラスはにっこりと笑顔を見せる。
リシェは眉を寄せながら「何だ?」と聞いた。
「パン一個ごとにほっぺたにキスして下さい」
「…は?」
「二個だから両方!唇なら全部あげますよ!」
ふざけるな!とリシェは怒った。
怒った顔も可愛らしく見えて、ラスはついきゅんとしてしまう。
「何なんだお前はっ!」
それならパンなどいらん!とカッカする彼を、ラスはすかさず引き寄せる。
「先輩に食べて欲しくて買ったんだから、せめて一回はサービスして下さいよぉ。向こうでは沢山キスしたのに」
(嘘です)と字幕が付くレベルの嘘をつきながら、ラスはリシェに密着する。
意味が分からないリシェは困惑しながらも首を振り、冗談じゃないと喚いた。
「物で人を釣るな!」
「お腹空いたでしょ、先輩。ほら食べさせてあげますから」
「食ったらキスしろって言う気だろうが!!」
ラスに捕らえられ、必死に暴れるリシェ。
そんな様子ですら愛しく見えてしまい、更に困らせたいラスは「じゃあこうして抱きしめさせて下さい」と頬擦りした。
「うう、何で俺がこんな目に」
変なのに捕まってしまった自身を嘆くリシェ。
しばらく耐えるしかないのかと思っていると、どこからか声が飛んできた。
「ちょっと!俺の目の前でキャッキャウフフしないでくれる!?凄く鬱陶しいんだけど!!!」
ラスの手がぴたりと止まる。
その瞬間を逃さず、リシェはしっかりクリームパンと焼きそばパンを奪いラスの手から逃れていた。
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