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エピローグ
十二時台だと、どこの店も混んでいた。一番席数の多いPRONTOに入って、五分ほど待たされたあと、席に案内され、ふたりはパスタを頼んで食べた。
食後のコーヒーを飲む段階になって、それまで無口だった和真が話し出した。
「これからどうするんだ? 野宮とは」
「別にどうもしないけど――席は他の人と替わってもらうつもり」
昨日の今日だ。野宮と隣の席では仕事がしづらい。
「それよりさ、和真に『尚人』って呼ばれるのすごく新鮮だった。ちょっとドキッとした」
尚人は周りに人がいないのを確認してから、話題を変えた。時刻は一時十分。ランチのピークは過ぎている。
「そうだな、俺も新鮮だったよ。『尚人』って呼ぶの。でもこれからは、そう呼ぶ機会、増えるかもな」
「え? なんで?」
和真の言わんとするところが分からない。コーヒーを口に含む。
「なおのこと、俺の親に紹介したい」
和真の一言に、尚人はコーヒーを変な風に飲んでしまい、むせそうになった。
反応に困った。同棲して一年四か月が経つが、その間、お互いの両親についてはあまり話してこなかった。兄弟の話はしていたが。
「嫌なら嫌って言えよ」
強気な科白なのに、声は少し不安そうだ。
「嫌じゃないよ。いつかはご挨拶しなくちゃって思ってたし。でも急だね」
「実は昨日、勢い余ってカミングアウトしたんだ、親に」
和真が目を伏せて、頭を掻いた。
尚人は急に思い出した。由真が昨晩、言っていたことを。
――父に車を貸してくれって頼んだら『最近運転してないんだろ』って一回断られたんですよ。そしたら『なおが危ないんだよ』とか、『死んだら俺も死ぬ』とか喚いて。あんなに動揺したところ、初めて見ました。
「なんかご両親に言われた?」
「分からない。なにか言われたのかもしれないけど、記憶がない。お前のことで頭が一杯で」
その科白に、尚人はまた泣きたい気分になる。本当に、和真には心配をかけてしまった。
「親の会計事務所、継ぐのも良いかなって思ってるんだ。なおとの関係を親が煩く言ってこなければ」
和真は今勤めている会計事務所のことや、従業員という立場になったからこそ、経営側にも興味を持つようになったことを打ち明けてくれた。
尚人は「いいんじゃないかな」と答えていた。和真が家業を継ぐのには賛成だ。彼にはリーダーシップも、決断力もある。経営者に向いていると思った。
「俺の親にも会ってくれる?」
自分だって、生涯ずっと一緒にいるであろう相手を、親に紹介したいと思っていた。なかなか和真に言い出せなかったけれど。
「もちろん会うよ。ご挨拶させて欲しい。今度の年末年始あたりに、ふたりで帰省しよう」
具体的な時期まで和真が提示してくるので、本当にその時が来たんだな、と実感した。
「――それにしても、なおはモテるよな」
和真が急に話題を変えた。真面目な話は家でしたいのかもしれない。
「そんなことないよ。和真の方がモテるんじゃないの」
言い返すと、和真は否定しなかった。
「まあ、モテる方かもな」
「やっぱり」
ちょっとイラっとしてしまう。恋人が誰にも靡かないと信じていても。
「心配?」
問いかけてくる目は優しい。緩んだ彼の口元は、心配する必要なんてないのに、と言っているようだ。
「心配はしてないけど……和真と仕事で関われる人が、羨ましい」
プログラマーと会計士じゃ、接点が全くない。これから先も、仕事で関われることなんて一度もないだろう。
「じゃあ、お揃いの指輪でも買うか。虫よけに」
「いいね、それ」
自然と笑顔になる。嬉しいと思った。そんな自分を意外に思った。
二人は店を後にして一階に上がり、ビルから屋外に出た。とたん喧噪が消える。二人が来た場所はビルの出口ではない。緑が豊かな一角で、ふだんは仕事で休憩するスペースだ。今は自分たち以外に誰もいなかった。
時刻は一時四十分。いつものことだが、恋人との時間はあっという間に過ぎてしまう。
「買い物して帰るよ。夕飯は何が良い?」
和真が聞いてくる。
「カレーが良いな。最近食べてないし」
絶対今日は、早めに帰ろうと思う。彼と食事をしながら、もっともっと話がしたい。
ふいに和真が、尚人の手をぎゅっと握った。
「なお」
真剣な声で呼ばれ、尚人は姿勢を正し、彼の目を見た。
「俺はさ、これから先も、なおを心配するのはやめられないし、俺自身、そんなに強いわけじゃないって、今回のことでよく分かったんだ」
揺るぎのない目で見つめられ、尚人は息をのんだ。
「だからお互い、支え合って生きていこう」
その言葉を聞いたとたん、尚人の胸に熱い塊が込み上げてきた。はい、と辛うじて返事をする。握ってくる手をしっかりと握り返した。尚人は滲む恋人の目を見て、微笑んだ。了
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