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ふと目覚めた。眠れないと思っていたがいつのまにか眠っていたようだ。
部屋の中が暗いからまだ朝にはなっていないのだろう。いったい今は何時頃なのか。
雨はまだ激しく屋根を叩いていた。
湿った風の流れを感じて佐和は首を向けた。地窓が開いている。
この部屋に通された時にはすでに雨が降っていたので開けた覚えはなかった。
義君があけたのかしら。こんな雨だと降り込むかもしれないのに。閉めなきゃ。
体を起こそうとした瞬間、きーんと耳鳴りがして動けなくなった。
手足の先から虫が這うようなぞわぞわした痺れが体の中心に向かってくる。
地窓から禍々しい気配を感じ、佐和はただ一つ自由が利く目を向けた。
窓から何かが覗いている。
そこではっと佐和は目覚めた。
夢?
ぼんやりした頭にきーんと耳鳴りが響く。体が動かなくなりぞわぞわと痺れが来る。気配を感じ、ただ一つ動かせる目でそれを見る。
畳の上を何かが這っている。
そこで再び佐和は目覚めた。
全身が痺れ、体が動かない。
嫌な気配が重くのしかかり、目の端から徐々に白い布が見えてくる。
でーさい?
これは夢? それとも現実?
顔を覗き込む白布の中心にぎゅっと皺が寄る。
お守り、お守りは――
あれは昼間――そうだ。あの時でーさいにぶつけた――
また、目覚める。
激しい耳鳴りと体の痺れ。
すべて夢なら、はやく覚めて。
虫の脚のような細くて長い腕が佐和に伸びてくる。
やめて触らないでっ。あっちに行って。
心の中でいくら叫んでも白い手は退かない。
『佐和ちゃん』
突然自分を呼ぶ、今は亡き祖母の声が聞こえ、体中に電流が走った。
でーさいの手が引っ込み気配が乱れる。
耳鳴りが遠ざかり、体の痺れが治まった。
佐和は体を起こそうとしたが、すぐ深い眠りに引き込まれていった。
再び目覚めた。まだ夜明け前のようで、部屋中が深海のような紺色に染まっている。
音が聞こえないので雨は止んでいるようだ。
佐和はだるさの残る上半身を布団から引き剥がすように起こして背筋を伸ばした。気分がすっきりしないし頭痛もする。
どこから夢でどこから現実だったのか、すべて夢か、それとも現実か。
パジャマの襟元が寝汗に濡れて気持ち悪く、寒くもないのに背中がぞくぞくした。
横には足元まで肌布団のはだけた義徳がまだ眠っている。あっちを向いた顔が暗がりに紛れていた。
あまりに静かで佐和は胸騒ぎを覚え、義徳の顔を覗き込んだ。
「義くん?」
義徳は白目を剥き、苦悶の表情を浮かべてすでに息をしていなかった。
「うそっ。義くんっ、義くんっ」
頬を叩き、体を揺さぶってもぴくりとも反応しない。
「おばあちゃんっ」
佐和は廊下を走った。
あさ枝はすでに起きて居間にいた。照明もつけず窓から外をじっと見ている。
「おばあちゃんっ。義くんがっ、義くんがっ」
泣き叫びすがる佐和の体を支え、それでも窓から目を離さないあさ枝はゆっくりと外を指さした。
「あれ見てみぃ」
見えるのは青に染まる風景に白く浮かび上がったくねくね坂だった。
その坂を何かが跳ねながら下っている。
赤い髪をしたでーさいだった。人の形をしたもやのようなものをつかんで離さない。
それは悲痛に歪んだ義徳の顔をしていた。
「まだ間に合うわ」
佐和は慌てて後を追おうとしたが「あかんっ」と、あさ枝に手首をつかまれた。
「なぜですか? 早く行かないとあいつに連れてかれてしまう」
「あかん。あんたまで巻き添え食う」
小さな老女のどこにこんな力があるのかと思うほど手首をつかんだ力は強かった。
「あの赤い髪見てみぃ。香子はただのでーさいやない。滓になってまで火みたいな赤い髪してる。
義徳はあのこに魅入られてたんや。だいぶ前からずうっと。もうどうやっても助けられん」
皺に埋もれたあさ枝の目から涙が溢れる。
赤い髪のでーさいが坂の下からこちらを振り向いた。白い布にくしゃりと皺が寄る。
佐和にはそれが香子の勝ち誇った笑みのように見えた。
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