嫉妬

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「おばあちゃん。前からずっと聞こうかどうか考えてたんですけど――」  あさ枝の幼なじみが最後の客だった。佐和は鋏を手入れしながら思い切って聞いてみた。  和徳は絵本を持ったまま待合のソファで眠ってしまっている。お気に入りのキャラクターのクッションに埋まる寝顔をちらっと見てから佐和はあさ枝に顔を向けた。 「なんや」  床に散らばる髪を掃く手を止めて佐和を見上げる。 「わたしは、いえ家族も――息子である父ですら祖母の出身地を知らないんです」 「ほいで?」  掃きまとめた髪をささっと塵取りでゴミ袋に放り込むとあさ枝は和徳を起こさないようにそっと横に座った。 「でーさいの事、わたしは祖母から聞きました。小さい頃からずっと注意を受けてきて」 「あんたも見えるさけなあ。よほど心配やったやろ」 「ええ。それでおばあちゃんがあれをでーさいと呼んでいたので、祖母の出身地はこのあたりじゃないかと思いまして」 「そうかもしれんな」  手入れを終えた鋏をケースに戻し、佐和は隅に置いたパイプ椅子を引っ張ってきた。  あさ枝が続ける。 「ここらあたりででーさい言うんは確かや。  そやけあんたの祖母ちゃんの出身いうんは間違いないかもな」  佐和はうなずく。 「生前、祖母にお守りをもらったんです。黒水晶の。どういう細工をしているのか、石の中に梵字のようなものが彫ってあって。  そのお守りを大事に持っていたんですが、ここに始めてきた時香子さんが亡くなったというあの場所ででーさいに追いかけられて投げてしまって――」 「香子のでーさいか?」  佐和は首を横に振った。 「白い髪をしていたので香子さんじゃなかったです」 「ふん。一緒に死んだ輩やな。よっぽどのことやないとでーさいにならんさけ香子に引っ張られたんやろ。追いかけて数珠を捨てさせたんは香子の謀やったかもしれんな」 「すみません。あの時、数珠さえ捨ててなかったらと――」 「言うてもしゃあない、何べんも言うてるやろ。数珠があったとしてあん時に義徳を守れてても香子はまた来たで、一緒のことや。  で、聞きたいことてなんや」  頬に流れ落ちそうな涙を指で拭いながら本来の目的を思い出して佐和は苦笑いを浮かべた。 「すみません――それで新しく数珠を作ろうと思うんですけど、どこで作っているのかわからなくて――おばあちゃん、知りませんか? 祖母の故郷のどこかだと思うんです」 「うーん。聞いたことあるよなないよな――  今は思い出せんで――もし思い出せても聞いたんは大昔のことやで、あるかないかわからんで。  そやけど数珠作ってどうするんや」 「お守りにしようと――思って――」  いまだ香子を恐れていると知ればあさ枝が心配すると考えて言い淀む。 「もしかして香子か?   あれは欲しかった義徳を連れてったんや。もう心配いらんで。和君はあんたの血が入っとるさけ執着せんやろし、まさかこの婆を連れに来るわけもないやろしな。ははは」  豪快な笑い声に和徳がびくりと身じろぎ、あさ枝は大きく開けた口を押さえた。 「でもやっぱり和くんに持たせておきたいです」 「そやったら、どんなお守りでもええやろ。今度休みに神社かお寺に行ってみよか」 「――そう、ですね」  もしでーさいならただのお守りが効くと思えないが、佐和は一応納得したようにうなずいた。 「もう片付け済んだんやったら帰ろか」  あさ枝は和徳のバッグを持つと腰を上げ「和君はまかせるで。婆はもうよう抱かんわ。ほんま大きゅうなって、義徳のこまい時分にそっくりや」  自愛の満ちた眼差しでふふっと微笑む。  だが佐和が曇った表情を浮かべるのを見て「ごめんごめん、和君と義徳は別や。心配いらんで」と慌てた。 「わかってます」  佐和はそう言ったものの和徳と義徳を重ねられるとひどく不安になった。  ひ孫に孫を重ねて懐かしむ老女の気持ちを否定したくはなかったが、香子も同じ考えを持つのではないかと怖くなる。  まさかそれはないだろう。香子は最愛の義徳を手に入れたのだ――でも、あんな形でしか愛を成就できなかった香子はきっとわたしを恨んでいる。わたしから義徳のものを根こそぎ奪おうと考えているかもしれない――ううん、そんなことない――  不安を払うように首を振って和徳を抱き上げた。すでに引き戸の外であさ枝が待っている。 「お待たせ」 「はいはい」  佐和が後ろ手で戸を閉めると鍵を持ったあさ枝が鍵穴に手を伸ばした。 「おばあちゃん」 「なんや」 「おばあちゃんも――気を付けてくださいね」  鍵をかけ閉まっているのを確認してからあさ枝が笑う。 「香子か? あいつはうちを嫌うてたさかい連れてかまいよ。そんないつまでもくよくよせんで」 「そ、そうですね」  あさ枝の頼もしい笑顔を見る度に大丈夫だと思う。だが、またすぐ不安に陥ってしまう。わかっていてもその繰り返しだ。  佐和は和徳の安らかな寝息を首筋に感じながら、夕闇に染まっていくくねくね坂を見上げた。
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