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兄の番人 3-1
3
おれはきのうは調子が悪いといって、夕食を摂らずに寝てしまった。
朝はふたりと顔を合わせずにすむ。バスケットの朝練で早く学校に行くからだ。おれがダイニングへいくと、両親が食卓にならんで朝食を食べていた。
父親は、ネクタイを肩にはねあげて食後のコーヒーを飲んでいた。眉間の縦皺と頬の深いくぼみをとりのぞくと、父親は星一とよく似ている。白髪交じりの短い髪だが、まだ四十歳にはなっていない。
パンが焼けるいいにおいがするけれど、食欲がない。おれがトースターからパンを出して、母親の向かいの席につくと、母親はベーコンエッグの皿をおれに渡しながらスキーの日程をきいた。
「塾と重なるじゃないか」
ネクタイを直して立ち上がった父親が動きを止める。
「一日だけだから大丈夫よ」
母親が手をひらひらさせて笑った。母親は、顔のパーツがぜんぶ丸くて、天然パーマの髪をショートカットにしていた。今日は深い赤のセーターに、チェックの長いスカートを穿いている。
「松島さんの迷惑にならないようにな」
父はグレーの背広を取るとダイニングを出ていった。
食事を終えると、おれはマウンテンバイクにまたがって家を出た。つめたい風をきって走る。重かった気分がようやく晴れてくる。
おれは嘘をつくのも何かを黙っているのも苦手だった。でも、絶対に言いたくない。とくに母親には。
あんたのふたりの息子がセックスしているなんて。
ケヤキ並木のバス通りに出ると、信号を右にまがって長い上り坂に出た。時間が早いせいか、学生の姿はまだみえない。
小学校一年生のころに父方の祖父の葬式に行ったときのことを思い出す。
市内なのに行き来のない父親の実家にはじめて行った。喪服姿の両親は浮かない顔をしていた。いちども会ったことのない祖父の、悲しくもなんともない葬式の席で、おれはうちの家族が皆川の親戚に嫌われていることに気づいた。
遠巻きにする視線と、悪意のささやき。それは自分の横に無表情ですわっている理月に向けられたものだった。
――離人症なんですって。
――だから……の人間となんか。
――悪い種が
あのとき、親戚がなにをいっているのかわからなかった。
ただ、うちの家族が嫌われていることだけはわかった。とくに母親が嫌われているということも。
ふたりは星一が生まれたせいで、大学を中途退学して結婚した。いま星一が通っている大学だ。母親は、父が大学を辞めたのは自分が悪いと思っていた。理月の離人症のことも。だから、星一と理月がセックスしていることを知ったら、最初に責めるのは自分だろう。
星一は理月になにをされても怒らなかった。だから理月は一番いやなことを星一にしているのではないだろうか。
でも星一はいやがっていなかった。本当に星一はあれがいいんだろうか。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。
――なにやってるんだよ、あいつら。
ペダルをこぎながら、おれはギリッと歯をかみしめた。
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