渋谷 私のフルーツ・ヴァレー 1

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渋谷 私のフルーツ・ヴァレー 1

 伯母が駒場(駅で言うと井の頭線の神泉)に住んでいる頃、母に連れられて行くのが楽しみだった。母は神泉からではなく、渋谷から道玄坂を登って歩いて行った。  バブルよりずっと前の昭和50年代。道玄坂は高級ブティックや映画館、レストランもあったが、家具屋、仏壇屋など昔ながらの店もまだあって、恋文横丁の辺りは「闇市」の匂いも残っていて、少なくとも今のような狂騒的な場所ではなかった。  坂を半分ほど登ると、東京の人なら、まあ、皆様ご存知、ラブホ街に入る角がある。今も迷路のようで派遣風俗の温床になっているらしいが、足を踏み入れると、色っぽいというよりは、例の「東電OL事件」のいかにも起こりそうな、寒々とした暗い雰囲気が漂っている。戦前からあのあたりは、あまり上級ではない芸者街で、もともと後ろ暗い土地柄らしい。伯母の家に行くにはその「円山町」を抜けてゆく。
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