0人が本棚に入れています
本棚に追加
『俺から!』
と勇次が大声を上げた。そこにいる全員が息をのんで次の言葉を待った。
『竜巻だ‼』
小学六年の勇次、拓也、五年生の麻奈美、大智、庄太郎、そして一年で拓也の弟、陸。6人はいつもの公園に集まって謎解きを披露している。
事件の第一発見者は、大智だった。今朝、登校しようと家を出た時に気が付いた。
『木が無くなってる』
6人が住んでいる市営団地の南側、土手の真下に、低い鉄棒と砂場しかない小さな公園がある。アスファルトで出来た垂直の土手に沿うように、一本の木が植わっていた。高さは団地の2階ぐらいあり、太さは陸が両手で抱き締められる程だった。それが、一晩で根っこまでなくなってしまっていたのだ。
皆は、一日考えた推理を話し合っているところだ。
『昨日は確かに風が凄かったなぁ』
大智が言った。
『でも、竜巻なら他に無くなってる物もあるはずよ』
麻奈美の言葉に、皆は「それもそうだ」と思った。
『私は、泥棒だと思う』
麻奈美が続ける。
『あの木は、実は凄く価値があって、売ると百万円位するの。だから、盗まれたのよ』
『そんなに価値があるような木だったかなぁ』
と庄太郎が言った。
「私には、凄く価値がある木だったんだ」と麻奈美は、心の中で思った。
麻奈美の父親は、酒を飲むと暴れだした。母に暴力を振るう。麻奈美は時々外に逃げ出した。行くあてのない麻奈美は、公園の木の下でうずくまっていた。そんな時、あの木は悲しいのか、悔しいのか、怖いのか、よく分からない麻奈美の心にそっと寄り添ってくれているような気がした。麻奈美は、あの木が好きだった。
勇次が聞いた。
『でも、どうやって夜中に運んだんだ。あんな大きな木を』
『それは……』
麻奈美は、言葉に詰まった。
『あの木を掘り起こすには、特殊な機械が必要じゃないかな。かなり大掛かりだよね』
庄太郎は麻奈美の話を切って、自分の推理を話し出した。
『僕は、地盤沈下だと思う』
皆は言葉の意味が分からずポカーンとしている。物知りで、成績のいい庄太郎は、淡々と説明した。
『少し前にテレビで見たんだ。アメリカで、一瞬で木が地面に消えていったのを。地層の中に穴ができて、突然地面の上にある物を飲み込んだらしい』
『マジで……だったらこの辺の下に穴があって俺たちも吸い込まれちゃったりするのぉ。やだよそんなの』
心配性の大智が、地面を見ながら後退りした。
『俺もそれテレビ見た。ほんとに一瞬で消えて跡形も無くなってたよ。あの木みたいだ……』
と拓也は納得したように言った。庄太郎の言う事は、信じられると思った。
庄太郎は、岩や植物など自然が好きだった。将来は地質学者になりたいと思っていた。しかし、母は医者になることを期待していた。
庄太郎の母方は、医者の家系で、母の父も、兄も、妹も医者だった。庄太郎の母も医者を目指すように両親から期待されていたが、応えることができなかったらしい。母に自分の夢を話せないでいた庄太郎は、時々息苦しくなった。
そんな時、自分の部屋から見える、風にユラユラ揺れるあの木を見ると、何だかどうでもよくなった。庄太郎は、あの木が好きだった。
『大智は、どう思う?』
勇次が大智の肩に手を回して、聞いた。おとなしい大智は、自分の意見をなかなか言わない。いつも皆が決めた事に、文句を言わずについていくタイプだ。
『僕は……』
大智は、三年生の頃、いじめられていた。大智たちが通う小学校は、3つの地区が合併した町にあり、かなりのマンモス校だった。その上、第二次ベビーブームとかで、勇次と拓也の六年生は10クラス、大智、庄太郎、麻奈美の五年生は9クラスあった。だから、学年が変わってクラス替えとなると誰も知らないという事も普通にあった。その頃の大智は、学校へ行くと、無視されたり、こそこそ何か言われたりするのが嫌で、お腹が痛いと言って、時々学校をずる休みした。共働きの両親が仕事に出掛けると、公園の木の下でぼんやりしていた。木陰に腰かけると何だかとても安心できた。ただ、いじめも一過性のものだったらしく、進級しクラスが変わると自然に無くなった。大智は、誰にも話していない。それを知っているのはあの木だけだ。大智は、あの木が好きだった。
しかし、大智はいくら考えても無くなった原因はよく分からなかった。あんな大きな木が一晩で無くなるなんて。だから、一番年下の陸に話をふった。
『陸ちゃんはどう思う?』
すかさず勇次が大智の背中を叩いた
『陸にふるなんてズルいぞ。まだ一年生なんだから分かんないだろ』
大智は、誤魔化したのを指摘され困った顔で笑った。
陸は朝からずっと考えていた。国語の時間「木」の漢字の書き取りをしている時も、体育の時間校庭の木を見た時も。
『僕は、西島のおじいちゃんだと思う』
陸の予想外の推理に皆は驚いた。
西島のおじいちゃんとは、同じ市営団地に住んでいる80才のひとり暮しのおじいさんだ。確かに、あの木の世話をよくしていたが、最近はあまり見掛けない。奥さんが亡くなって塞ぎ混んでいるらしいと、大人たちが噂していた。
『どうして、西島のおじいちゃんだと思うの?』
麻奈美が陸の目線まで腰を屈めて聞いた。
『あの木は、おじいちゃんの木だよ。おじいちゃんが、木を植えたって言ってたから。とても大切にしてたんだ。それに、もうすぐ、引っ越すんだって。だから、一緒に持って行きたいんだよ』
陸は西島のおじいちゃんが好きだった。公園で会うと、いろんな話をした。木の水やりや、草抜きも手伝った。おじいちゃんも、あの木も大好きだった。
『でも、どうやって夜中に木を引っこ抜いたんだぁ。西島さんは、体は大きいけど、歩くのもゆっくりだろ』
勇次が陸に意地悪そうに訊ねた。
『おじいちゃんは、昔、木を植えて育てる仕事をしてたんだって。大きくなった木を切ったりもしてたんだ。だから、電気ノコギリや、大きなスコップも持っていたよ』
陸がこんなにしゃべるのを拓也は初めて聞いた。
拓也と陸の父親は、陸が生まれてすぐ病気で亡くなり、母は毎日朝早くから夜中まで仕事をいくつも掛け持ちしていた。まだ、陸が小さい頃、母がいないと夜泣き出すことがあった。拓也は隣の部屋に聞こえないように、陸を背負って外に出た。行くところがなく、公園のあの木の下であやしていると、不思議と陸は眠りについた。拓也も、あの木の下に行くと、何だかホッとした。
そんな甘えん坊で、団地の仲間からも、赤ちゃん扱いされていた陸がしっかり自分の考えを話している事に拓也は驚いていた。
『しかし、あんな大きな木を一人で引き抜けるだろうか』
庄太郎は、独り言のように呟いた。
陸は土手を指差して言った。
公園と団地の間の土手は、人が通行できるだけの幅があり、ちょうど木の半分位の高さにあたる。
『あそこから、ノコギリで半分に切ったんだよ。おじいちゃんの車を木の横に停めて、そこに倒れるように切ったんだ』
西島のおじいちゃんは、軽トラックを持っていた。いつもは、自転車を使っているが、たまに運転しているところを見かける。
『でも、残りの半分はどうしたの?』
麻奈美が聞いた。もう、腰を屈めずに話しかけている。
『簡単だよ。スコップで根っこを掘って紐をくくりつけて、トラックの正面から引っ張ったんだ』
『なるほど、テコの原理か』
庄太郎が一人納得している。
陸は続けた。
『前に、おじいちゃんが教えてくれたんだ。草抜きを一緒にしていた時。木みたい太い草を抜く時、でっかい石を間に置いて、紐をくくりつけて引っ張ったら楽々抜けたんだ』
『西島さん家に行こう』
勇次は、陸の話を確かめたくなってきた。
勇次は、祖母と二人暮らしだ。母親は、気が向いた時に会いに来て、小遣いをくれた。ここ数年は会っていない。母の顔を思い出すとのっぺらぼうの顔に赤い口紅でパクパク何かしゃべっている様子しか思い出せない。
勇次は、あの公園が好きだった。あの木の下にいると、誰かが必ずやって来た。毎日、あの木の下で、皆でケイドロをしたり、サッカーをしたりして遊ぶのが好きだった。勇次にとって、団地の皆は家族だった。勇次はあの木が好きたった。
6人は西島さん家の玄関の前にいた。
「ピンポーン」
西島さんが、出てきた。
『皆揃ってどうしたんだい?』
陸の話を勇次が西島さんに伝えた。
西島さんは、じっと聞いていたが、話終わると
『中に入りなさい』
と言って、部屋にいれてくれた。
西島さんが台所で、お茶を入れてくれている間、段ボールが沢山積み上げてあるのに気が付いた。部屋には、布団と仏壇位しか見当たらない。陸の言っていた、近々引っ越しすると言うのは、本当のようだ。
その仏壇には、西島さんの奥さんの写真があった。その隣に小学生らしい男の子の古い写真があった。
西島さんは、皆にお茶を配るとゆっくり話始めた。
西島茂俊は、今年で80才になる。40才の時、大規模な土砂災害で、天職と思っていた植林の仕事を辞め、この市営団地に引っ越してきた。娘は、結婚し遠い町で暮らしている。妻を亡くしてから、何度となく誘われていた、娘家族との同居をしぶしぶ承諾した。
この団地を離れる事を決め切れなかった一番の理由は、公園の木を残して行くのが辛かったからだ。西島は、40年前引っ越してきた時、公園にその木を植えた。それは、土砂災害で亡くした息子を思って植えたものだった。
西島は、毎日仕事から戻ると成長を確かめ、肥料をやり、年に数回害虫駆除をした。しかし、奥さんが亡くなってからは、何もやる気が起きず家に引きこもっていた。引っ越しを決め、久しぶりに木の様子を見に行くと、害虫に犯されていた。見た目には分からないが、長年この木をみてきた西島には分かった。そして西島は、一緒に連れて行こうと決めた。
しかし、西島が植えたとは云え、公共の場所に40年も植わっている木を伐採するには、行政の許可が必要だと分かった。引っ越しまでに時間がない。西島は、毎日少しづつ、夜中に木の根を掘った。子供たちの遊ぶこの公園で、木が倒れては危ないので、慎重に掘り進めた。
そして遂にあの日、木を盗んだ。陸が推理したように……。
西島さんは、一番小さな陸にも分かるように話してくれた。皆は黙って聞いていた。
拓也が口を開いた。
『あの木はどうするんですか?僕あの木、好きだったのに……』
『君たちがそんなにあの木を大切に思ってくれていたとは、知らなかったよ』
と言った西島さんは、泣いているように見えた。
一年後、勇次、拓也は中学生に、大智、庄太郎、麻奈美は六年生に、陸は二年生になった。前のように毎日公園で集まる事は、少なくなった。しかし、時々公園に集まっていろいろな話をする。西島のおじいちゃんが造ってくれたベンチに座って。
最初のコメントを投稿しよう!