IT社長がうらやましい。

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IT社長がうらやましい。

 柳沢竜也はベッドの上に立ち上がり、壁のミチョリンのポスターに指を掛け、一気に引き下ろした。バリバリと音をたててポスターは破れ、隅を止めていた押しピンが飛んで目の下に当たった。 「くそっ!」  まだ壁に残っている切れ端も引き千切りながら剥がした。 「アイツのせいだ」  手の中でポスターを丸めながら、ベッドに落ちているはずの押しピンを探した。キョロキョロと前後左右、床やベッドの下を探したが見つからなかった。いつか出てくるだろうと探すことを諦めた。  竜也にとって、今日は人生最悪の日だった。早朝から夏の暑さに耐えきれず目をさましてしまった。そして手に取ったスマートフォンのニュースで、ずっと応援していたアイドルの御木本美千代の結婚を知ったのだ。ミチョリン本人からの結婚報告動画がアップされていた。結婚相手はメディアによく出てくるIT社長だった。 「ワァーーッ」  竜也はポスターを破ってもまだ苛立ちと怒りと絶望が収まらず、叫び声をあげた。ワンルームのアパートに一人暮らしで、いつもは騒音の苦情を気にして静かに生活しているのだが、この時は一切、そんなことは頭から消し飛んでいた。  テレビ横の棚にも手を掛け、CDやDVD、サイン色紙も床にぶちまけた。 「くそー、なんで結婚しちまったんだよ。俺の五年間を返せー」  唾を飛ばしながら、金切り声で叫んだ。  ネット上には衝撃と悲しみの声が溢れたが、しばらくすると現実を受け止め祝福のメッセージを送るファンも現れた。  しかし竜也は祝う気には全くなれなかった。相手が、一般男性とか、いなかの同級生なら、まだ許せる。だが相手は大金持ちのIT社長なのだ。 「ミチョリンがそんな奴だとは思わなかった」  竜也は三十五歳から四十歳の今日までずっとミチョリン一筋の生活を送っていた。バイト代は全てCD代や、イベント代に費やした。握手会にも必ず参加し、ミチョリンにも名前を覚えてもらっていた。「竜也さん、いつもありがとう。竜也さんも頑張ってね」と声を掛けてもらっていた。  竜也は一生懸命、応援を頑張った。自分がミチョリンを育てたという意識を持っていた。グループ在籍中の時には、如何にして目立つかをアドバイスし、卒業して女優業に進出した時は演技のポイントを伝えた。竜也のアドバイスやネット上でのメッセージのおかげでミチョリンがトップアイドルになったと思っていた。 「よりによって、なんでIT社長何だよー」  竜也は丸めたポスターをゴミ箱に叩き込むとベッドに腰掛け、スマートフォンを手にした。  ネットの検索サービスでそのIT社長の名前を打ち込んだ。プロフィールには国内の一流大学卒業後、海外の有名校に留学した経歴が載っていた。在学中に起業した会社は誰もが知っている企業で、個人間での売買のネットサービスを行っていた。奇しくも竜也がミチョリンにのめり込み始めた五年前にサービスを初め、そこから業績は右肩上がりに拡大し、売上は千倍に伸びていた。 「楽して儲けやがって。お前みたいなやつは、金がなければ誰も振り向きはしないんだよ」  スマートフォンで検索したプロフィールには生年月日も載っていた。 「げっ、同じ歳じゃねぇか」  竜也もIT社長も同じ四十歳だった。  プロフィールの下には最近の記者発表の記事も載っていた。竜也もテレビニュースで見た記憶があった。民間による初の深海探査機の開発発表だった。 「私は二万メートルの有人海底探査に挑戦します。現在の人類の到達記録の倍を目指します。目標は高いほど、挑戦しがいがありますからね(笑)。これは未来の人類のための挑戦なのです。深海にはレアアースや石油、ハイドロメタンなどのエネルギー資源が我々の発見を待っているのです。勘違いしないでくださいね。これは地球環境の保護が目的なのです」  竜也はスマートフォンをベッドの上に放り投げた。 「アホか、こいつ。格好つけやがって。金持ちの道楽とはこいつのことだぜ」  竜也はため息をついた。自分も金があれば、報道陣を集めて、酔狂なことを言って注目を浴びることができるのにと思った。金さえあれば何でも出来るのだ。冒険も出来るしアイドルと結婚も出来る。  ルルルッ、ルルルッ、ルルルッ。  スマートフォンのアラームがなった。 「ちぇっ」  バイトの時間だった。  デパートでの棚卸のバイトが終わり、外に出ると雨が降っていた。傘は持っていなかった。  濡れながら駅に向かって歩き始めたが、想像以上に強い雨だった。  竜也は近くのハンバーガーショップに飛び込んだ。昼食もまだだったし雨宿りにちょうど良いと思った。 「いらっしゃいませ。注文がお決まりの方はどうぞ」  注文カウンターの女性から声を掛けられた。竜也は、注文前に財布を開いて残金を確認した。苦手な消費税の計算を行って、持ち金に収まるはずのセットメニューを注文した。 「こちらでお待ちください。ご用意が出来ましたらレシートの番号でお呼びします」  待っている間、竜也の頭にIT社長のことが浮かんできた。  あいつは一々、消費税なんて気にしないんだろうな。値段さえ見ないかもしれない。そもそもこんなチェーン店には来ないだろう。  竜也は注文を受け取り、窓際の席についた。隣のスツールにリュックを置いた。二十年近く使っているリュックであちこち、擦り切れ、糸がほつれている。  ハンバーガーを食べ、ドリンクを飲みながらも、まだIT社長のことが頭から離れなかった。俺も遊んで金持ちになりたい。バイトなんかでちまちま働きたくない。なんとかアイツみたいに楽して稼げるアイデアはないか。自分もネット企業を起ち上げようかと思ったが、どうやればよいか分からなかった。  同じことを何度も繰り返し考え続けたが、何も解決せずに時間だけが過ぎていった。  ドリンクの氷も解け、その水も飲み干して、コップの底の空気だけを吸い続けていた。  竜也はボロボロのリュックからボールペンを取り出した。そして紙ナプキンに「やることリスト」を作り始めた。  一、外車をキャッシュで買う。  二、一千万円以上の腕時計を買う。  三、両親のために家を建てる。  四、彼女を作って、ホテルのスイートルームに泊まる。  五、同窓会の二次会に行って全額支払って、何年もの間、噂の的になる。  金持ちになるための「やることリスト」ではなく、金持ちになった後の「やることリスト」だった。  雨は止む気配もなく降り続いていた。竜也は覚悟を決め、店を出た。  急ぎ足で駅に向かったが、ロータリーの手前で歩道橋を渡らなくてはならなかった。  髪と服とリュックが見る見るうちにずぶ濡れになっていった。 「ヨシッ」  自分に気合をいれて階段の一段目を登ろうとした時、横から傘をさしたお婆さんがぶつかってきた。  竜也は片足を上げていたところにぶつかられバランスを大きく崩した。踏みとどまろうとしたが雨で滑って後ろ向きに倒れてしまった。  傘のせいでよく前が見えなかったのだろう。お婆さんはよろけただけで無事なようだった。尻もちをついている竜也を不思議そうに見下ろしている。この若者は勝手に転んできて、いったい、何をやっているのだろう、そう言っている気がした。 「冷たい!」  一瞬で雨がパンツのお尻にまで浸透していた。  竜也は痛みに耐えて立ち上がった。そして地面に落ちているリュックを慌てて拾った。転んだ恥ずかしさもあり、老人に文句も言わずに歩道橋を登って行った。階段を昇り切り、リュックに両腕を通した時、違和感を覚えた。紐が短く、背負えなかったのだ。  背中から外して手に取ると、それは竜也のリュックではなかった。よく見ると色が似ていて同じ大きさのリュックというだけで、デザインも古さも全く違っていた。それに中身がいっぱいに入っており、かなり重かった。  何が起きたのか混乱しているなか、すぐ後ろから声を掛けられた。さっきぶつかってきた老婆だった。 「ありがとう。運んでもらって」 「えっ」  そこでやっと、自分が老婆の荷物を間違って持って登ったことに気が付いた。  片手を差し出してじっと見つめてくる老婆にリュックを手渡した。  老婆は傘をさしたまま器用にリュックを肩に掛けた。竜也のリュックは持っていなかった。階段を見下ろすと、竜也のリュックは雨に打たれて歩道に置き去りになっていた。 「うそだろう」  また階段を降りて取りに行かなければならない。老婆に文句を言おうとしたが、すでに歩道橋を渡り切り、反対の階段を下っているところだった。  竜也は自分の不幸を呪った。  暗闇の中、空中に小さな光の点が浮かんだ。金色の小さな光は徐々に大きさと明るさを増していき、部屋中を白一色に染めていった。  あまりの眩しさにうめき声を上げて竜也は目を覚ました。上半身を起こした時には光は収まり、ぼんやりとした光がベッドの上に浮かんでいるだけになっていた。その光を背に白髪白眉の老人が現れた。ベッドの上、竜也の足元付近に老人は立っていた。  竜也は顔を上げ、正面に立つ老人と目を合わせた。脳が麻痺して驚くことも怖がることもできず、ただ固まるだけだった。 「望みを言え」 「金持ちにしてください」  竜也は即答した。呆然としていたにも関わらず勝手に願いが口から出てきた。自分でも驚いたが、自分の声を耳にすると落ち着きが戻ってきた。どうせ夢なのだ。夢なら何を言っても構わない。 「よろしい。インガオウホウ。お前が触れるものは黄金に変わる」  老人が言い終わるやいなや、また光が強くなり始めた。瞬く間に部屋が閃光で満たされた。  竜也は手で目を覆ったが光は手の上も通過し、網膜と視神経を通って脳に突き刺さった。竜也は気を失った。  ベッドから落ち、床に散らかったミチョリンのDVDケースの角が頬に刺さり目をさました。頭を振りながら床に座り込んだ。 「変な夢をみた」  竜也はDVDを片付けようとDVDケースに手を伸ばした。拾おうとしたが拾えなかった。ケースが異常に重かったのだ。 「なんだこれ」  ミチョリンのDVDが黄金色に光っていた。裏返してみたり中を開けて盤を取り出してみたが、全てが金になっていた。  目の前の出来事と夢の中の出来事が結びついた。あれは夢ではなかったのだ。  金持ちになったのだ。だが、現金が手に入ったわけではない。どうすればいいのだろうか。  ベッドに座り直し、枕もとのスマートフォンを手に取った。 「あっ」  慌ててスマートフォンを手放したが、それは金に変わることはなかった。念のため、他のDVDを持ってみたが変化しなかった。  安心してスマートフォンで「金 換金」と検索した。貴金属店などの買取情報が幾つも画面に現れた。純金のインゴット、金地金だけでなく、ネックレスや指輪も買い取ってもらえるようだった。どれも敷居が高く、金に変わったDVDケースを買い取ってもらえる気がしなかった。  竜也は金の相場調査に切り替えた。重さからして百万円ほどにはなりそうだった。どうすればいいのだろうか。早く現金に変えたい。  悩みながらしばらくスマートフォンで検索を続けていると、画面に表示されている広告に目が留まった。個人間の売買サービスの広告だった。フリーマーケットとかオークションとかの機能があるサービスで竜也も何度か利用したことがあるものだった。  そうか、これだと何でもすぐに売れる。何に使うかわからないものでも、どこかの誰かは欲しがっているのだ。  竜也は、写真を取り、純金と一言だけ説明を添えただけで、他には余計なことは一切、書かずに、価格を百万円に設定した。純金かどうかは分からなかったが、不思議な出来事が起きている中で、金メッキだなんて中途半端なことはあり得ないと思っていた。  勢いのまま売り出そうとしたが、「出品」ボタンを押す直前に指を止めた。  このサービスは、あのIT社長の会社が提供するサービスだった。  アイツを儲からせたくない。アイツの世話になるような真似はしたくない。  そう躊躇したのは一瞬だけだった。換金への誘惑の方が強かった。それに、あのIT社長を利用していると思えばよいのだ。  出品ボタンを押した後、IT社長に対する勝利の余韻に浸り、ベッドに寝ころび伸びをした。  微睡む間もなくスマートフォンのチャイムが鳴った。購入されたのだ。    竜也は半信半疑のまま、購入者に黄金のDVDを郵送した。  気もそぞろで二日間を過ごした後、入金を知らせるメッセージに従ってATMに向かった。残高を確認すると百万円だけ増えていた。一日の上限額の五十万円を引き出し、街にでた。  リュックに現金の入った封筒を入れ繁華街を歩いた。平日の昼間だというのに人通りは多かった。最初は持ちなれない大金のため落ち着かなかったが、徐々に清々しさが上回ってきた。  今までと景色が違って見えた。道路も広く見え、周りの人々も背が小さく見えた。大金を持って歩いているだけで、心にゆとりと余裕が芽生えた。  どこに行こうか、何を買おうかと考えているだけで笑みが止まらなかった。レストラン、古着屋、ヘアサロン、雑貨屋、ドラッグストア、眼鏡屋の前をゆっくりと歩いていった。  こんなところに高級時計店があったのか。ブランドバッグの店もあった。何度も通っているはずなのに今まで目に入ってなかったようだった。  ポケットに手を入れた時、指先が紙くずに触れた。それはハンバーガーショップで書いた、やることリストだった。  一、外車をキャッシュで買う。  二、一千万円以上の腕時計を買う。  三、両親のために家を建てる。  ……  竜也は道路の真ん中で立ち止まった。周りの人が迷惑そうに竜也を睨みながら通り過ぎて行った。  一気に落ち込んだ。金持ちになったと浮かれていたが、外車どころか国産車も変えなかった。 「くそっ」  天を仰ぎ見た。百万円ぽっちじゃ全然、足らない。どうすればもっと大金が入るのだろうか。あのIT社長のように何億円も稼げるのだろうか。  竜也は、夢に出てきた白髪白眉の老人を思い出していた。老人はインガオウホウと言っていた。因果応報のことだろう。調べてみると善い行いをすれば良い結果が得られるという意味だった。  黄金を手に入れたのは、雨の日にお婆さんの荷物を歩道橋の上まで持ってあげた結果なのだ。  その日、竜也は一日中、街を彷徨って善行を積んだ。ゴミを拾い、倒れた自転車を立て、外国人に道を教え、目の見えない人の通行を助け、献血を行い、未成年者の喫煙を止めさせた。へとへとだった。足にマメや靴擦れもできていた。  気が付いた時には日の明かりはネオンに取って代わられていた。空腹を感じコンビニでお握りを買った。札束から一万円だけ抜き取って支払いを済ませると残りの札束は封筒のまま募金箱に全てねじ込み、店を後にした。店員の不審そうな視線も気にならなかった。もう自分が何のために何をしているのかもよく分からなくなっていた。  自宅につくと長年の習慣で蛇口から直接、水道水を飲みながらお握りを食べた。シャワーを浴び、すぐにベッドに倒れこんだ。こんなに疲れたのも久しぶりだった。  深夜、また光に起こされた。 「インガオウホウ」  後光を背負った白髪白眉の老人が歌うようにいった。 「お前の能力は回復した。また使える」 「ちょうどよかった。質問があります」  竜也はベッドに半身を起こし挙手した。 「なんだ?」 「この能力だけど、善行の対価分しか黄金に変わらないってことですか」 「インガオウホウ」 「Yesってことですね。でも、大金を手にいれるために苦労するんなら意味がないです。苦労したくないから金が欲しいのに、あべこべですよ」 「因果応報なのだ。それが宇宙のルールなのだ」 「何が宇宙のルールだよ。あのIT社長は何の努力もせずに、ミチョリンと結婚したぞ」  竜也は自暴自棄になっていた。神様への畏れの気持ちもなかった。 「百億円くれ。じゃなきゃ、こんな能力は要らない」 「現金を渡すことはできない。国家が印刷、発行しているものは作り出せない。インガオウホウ。お前の能力は回復した」  白髪白眉の老人、何かの神様はそれだけ言うと眩い光の中、消えていった。  翌朝、竜也は目を覚ますと、CDを一枚ずつ順に触っていった。五枚まで金になったが、六枚目からは効力が消え、何も起こらなかった。  とにかく五百万円は手に入るはずだった。  高級とは行かなくても外車は買える金額だった。  一、外車をキャッシュで買う。  二、一千万円以上の腕時計を買う。  三、両親のために家を建てる。  ……  一つ目をなんとかクリアしたとしても、二つ目のハードルはかなり高かった。時給換算するとバイトより遥かに効率が良いが、続けられるものでもない。  どうしよう?  五百万円を元手に、ギャンブルや投資を考えてみたが、全て失い呆然と立ち尽くす自分しかイメージできなかった。  竜也はつくづく、自分が何も出来ないことを思い知らされた。五百万円が手に入っても、それを増やす方法が分からないのだ。  ネットで、五百万円を元手に増やす方法を尋ねたところで、まともな回答は期待できないし、あの神様の爺さんに会うのも嫌だった。  竜也はベッドに寝そべり天井を眺めながら考えた。  本当に自分は、何もできないのだろうか。自分にもできることがあるんじゃないだろうか。  竜也は跳ね起きた。待てよ。この黄金はどうやって手に入れたんだっけ。  五年後、竜也はIT社長と並んで、深海探査船の進水式に出席していた。深海探査船のドックの周りに記者会見場が作られており、船首の前に主要な出席者が立ち並んでいた。  IT社長の横にはかつてのトップアイドルのミチョリンとその二人の子供がいた。  竜也にはパートナーがおらず一人で出席していた。その手にはシャンパンの瓶が握られていた。 「では、シャンパンを開ける前に、NPO法人ゴールデンタッチ代表、柳沢竜也様に御挨拶頂きます。その前にまず私から代表の経歴を簡単にご紹介いたします」  竜也は一歩前に出て、会釈した。自分がここにいることが不思議だった。 「柳沢竜也様は五年前にボランティア活動を始められました。街の美化や生活困窮者の自立支援から始め、動物や自然環境の保護にまで活動の幅を広げられています。常に弱者に寄り添う姿勢を変えず、その無欲無私な姿勢と活動は国内外から賞賛されています。今や海外を含めて七つのNPO法人の代表をつとめられ、日々、世界中を飛び回られています」  竜也の前にスタンドマイクが立てられた。 「汚い恰好で申し訳ありません。とても社長と同じ歳には見えないでしょ」  周りの関係者や記者からも笑い声が上がった。竜也の古い安物の服はトレードマークになっていた。 「今日、この日を迎えることが出来て本当にうれしく思います。いよいよ、深海探査がスタートするわけですが、ここまで大変な道のりだったと思います。関係者の苦労と努力、そして情熱には頭が下がります」  深々と頭を下げ、顔を上げると、フラッシュとシャッター音が鳴り響いた。 「今、無欲無私と紹介されましたが、無学無能の方が正解だと思います。実際、ボランティアや環境保護は始めたくて始めたわけではなく、他に何もできることもすることもなかったからです。そんな僕でしたが、人や地球にやさしくすることはできました。僕にさえできたのですから、誰にだってできます。そして皆の力を合わせれば偉大なこともできるようになるのです」  竜也は脇によけ、深海探査船の船首が記者たちに見えるようにした。またフラッシュとシャッター音が鳴り響いた。竜也は司会者に視線を送ってスピーチの終わりを知らせた。 「それでは、進水式を始めます」  竜也とIT社長はシャンパン瓶を船にぶつける真似をした後、それぞれ栓を抜いた。  コルクの抜ける乾いた破裂音が心地よかった。(了)
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