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「もっと、あおいのことを気遣えばよかったと思って、僕が後ろにいる彼女へ声をかけようとする前に、一番前を進んでいた千秋がこんなことを言ったんだ。
「なんだよ、おまえ、ちょっと電気がついてないくらいで、ビビってんの?」
不安そうな声をあげて立ち止まったあおいに、間髪入れず、からかうように千秋がそう言ったものだから、あおいはムッとしたようだった。
ぼくのコートの袖をひっぱる力が、ぎゅっと強くなった。
このままだと、言い合いがはじまるかもしれない。
美術準備室への扉は、もうすぐそこだっていうのに。
また始まったと思って、僕はこっそり心の中でため息をついたよ。
二人はいつもこうなんだ、だから真ん中にいる僕はいつもどおりに仲裁者の役目をすることになった。
「ふたりとも、ちょっと声のトーンを下げようよ、誰かが廊下を歩いてきたらアウトだよ。
せっかく満月の夜にここまで来たっていうのに、帰らされる羽目になっちゃうかもよ、いいの? 僕たちの記事を楽しみにしてくれているみんなの期待を裏切っても?」
僕が二人だけに聞こえるように、ひそひそと話すと、二人はぐっと口を閉じて、また暗い美術室のなかを前進し始めた。
それで僕もホッと胸をなで下ろしたよ」
「うーん、岡本くんとその子は、仲が悪いの?」
「仲が悪いというか…馬が合わないんだよね、きっと…。
ほら、千秋はああいうキャラだけど、あおいの方は千秋とは真逆のタイプだからね、すごく真面目なんだ。
あおいが新聞部に入った動機というのも、僕と似たようなカンジで、将来的にジャーナリスト系の仕事がしたくて、その一環だった。
だから、入部してしばらくあとに…あおいはちょっと人見知りみたいなところがあるからね、だんだんと僕たちは意気投合していった。
みんなに楽しんでもらえる意義のある新聞記事を作ろうと、一緒に頑張ってきたんだ。
僕は割とコラム系の記事を書くことが多いんだけど、あおいはもっと事実に沿った記事を…例えば、うちの学校の行事についてだとか、ボランティア活動の総括とか、そういうのを関係者のインタビューとかもきっちり取ったうえで、細かい知識も自分で詳しく調べ上げて、正しく、それでいて分かりやすく文にまとめるのが上手いんだ、そういうあおいの、密度のあるしっかりとした仕事を僕は尊敬している。
で、そんな真面目な人柄と仕事っぷりのあおいから見ると、途中から新聞部に入ってきた千秋は、すごく不真面目な態度の人間に見えるみたいでイライラするらしいんだ。
もとから、うちの新聞部っておおらかでほのぼのしてて、先輩たちものんびり系の人が多いんだけど、千秋が来てから…家入くんも想像つくだろうけど、にぎやかになっちゃってさ、次の新聞作成についての会議とか言いながら、けっきょくその日は千秋を中心にお菓子食べて、ただみんなでおしゃべりしただけで終わり…みたいな日があったりして、そういうのがあおいには許せないらしいんだよね。
僕と二人だけになると、あおいがブツブツ文句言うんだ。
あおいが言ってることも分かるんだけど、僕はさ、みんなが一致団結するためにはそういう楽しいだけの日があってもいいと思うし、千秋は何も考えてないように見えて、実はおしゃべりのなかで大元の方向性をまとめ上げてることがあるんだ、付き合いの浅いあおいにはまだ分からないかもしれないけど。
それに、まだ新聞部に入ってそんなに経っていない千秋に、あれもこれも当たり前にできるように望むっていうのも、難しいと思うし…。
でもそういう話をあおいにしても、あおいが疎外感持っちゃうだけかもしれないし…千秋は千秋で、そういうあおいの真面目さとか、ちょっと避けられぎみなところが気になるのか、わざとちょっかいかけに行ってるようなところがあって…やめればいいのに、…けっこう大変なんだよね、人間関係って…」
…ごめんなさい、さっきまで「あーあ、これからリア充の青春ストーリーを聞かされちゃうのかぁ」…なんて思っててごめんなさい…。
めっちゃ苦労してるわ、五十嵐くん…。
たいへんだね…。
「とにかく、目的地である美術準備室の扉は、もう目の前にある。
情報提供者から聞いたところによると、美術準備室には、そこにある収納品が日光なんかの、外部からの明かりによって痛まないようにと、外部とつながる窓が一切ないそうなんだ。
たしかに廊下側から観察してみたところ、美術準備室に接しているだろうと思われる壁には、換気用としての小さな窓さえも見当たらなかった。
だからこそ、美術準備室の中の様子を僕たちは外から確認することはできないけれど、逆に、一度侵入に成功しさえすれば、誰からもみつかることなく、のびのびと室内を見て回ることができるとも言えた。
そして行き着いた先、ついに僕たち三人の前に、美術室の壁の一部のように目立たない、クリーム色をしたプラスチック製のこじんまりとした扉が、立ちふさがる。
それは、ひっそりと閉ざされていて、僕たちは黙ったままだったけど、たがいに目配せをした。
僕は先頭に立つ千秋の顔を見た。
外から差し込むグラウンド用の強いライトが、千秋の横顔だけをくっきりと浮かび上がらせていて、そうすると元から彫りの深い千秋の顔が、より凹凸を際立たせて見えた、美術室内にたくさん飾ってある彫刻の首のひとつみたいに。
千秋は僕のほうを見ると、口の端をゆがめて、にやりと悪そうな笑みを浮かべた。
千秋らしい笑顔だった。
そして、ちゃらちゃらと音をさせながら、千秋がポケットから美術準備室の鍵を取り出す。
例の情報提供者からこっそり借りることに成功した、その美術準備室の鍵を、千秋はノブにある鍵穴へと差し込んだ。
すぐに、かちゃりと解錠された音がして、それと同時に千秋がちょっと開いた扉の向こうを確認すると、海外ドラマの警察官よろしく左右と周囲をチェックした後に、クイッと親指を立てて、僕とあおいに中へ入れと合図する。
僕にだけ聞こえるくらいの小さな声で、あおいは「ばかみたい」とつぶやいてから美術準備室へと入り、それに続いて、僕も何も聞こえなかったふりをしながら入室し、最後に千秋が入ってきて、扉は静かに閉じられたんだ」
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