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あおいがポケットティッシュをくれたので、僕はまず自分の手についた緑色の絵の具をかるく拭いてから、残りを千秋に差し出した。
「血なんかじゃないよ、ほら、落ち着いて見てみて。
緑色をしているじゃないか、絵の具だよ。
それに千秋、どこか痛いところはあるの?」
「…ない」
千秋はやっと落ち着きを取り戻したのか、僕からティッシュを受け取ると、乱暴に自分の手についた絵の具の汚れをぬぐって、それを床に投げ捨てた。
「千秋…」
千秋のポイ捨て行為を見て、僕はため息をつく。
僕たちは某美術部員の好意で…まあ買収はしているものの、お願いして、この美術準備室のなかに入れてもらってるんだから、ゴミなんか捨てちゃだめだ…そんなことを、僕が言おうとしたときだった。
ガタッと物がぶつかる、にぶい音がした。
「な、なぎ!」
次に、とまどったような、あおいの声。
今度はいったい何が起きたというのか、見ればあおいは、何かにむかって指差している。
僕と千秋は急いであおいのそばへ駆け寄った。
これは、ついに目当てのものが発見されたんじゃないか、そう僕たちは察したからだ。
実際、あおいが指差していたのは、一枚のキャンバスだったし、そこへ目をやるとまさしく、それは女性の肖像画だった。
長い黒髪の若い女性が、淡い笑みを浮かべている、モナリザみたいな肖像画だ。
上手に描かれていて雰囲気のある絵ではあるけれど、もちろん、本物のモナリザほど立派なものじゃない。
きっと生徒が描いたものなんだろう。
水色のブラウスを着たその女性の、寂しげにもみえる微笑みは、見方を変えれば、泣いてしまう寸前のようにも見えなくはない。
黒髪と対比するように白く透き通った肌、すこしだけ細められた目、その瞳の色はブルーグレーだった。
そして…僕は気づいてしまった。
「うそだろ…」
自分でも、つぶやく声が乾いて響いていることが分かった。
かちっと不吉に高い音をたてながら、一瞬、点滅を続けている切れかかった蛍光灯が、強く光ったとき、僕は見てしまったんだ。
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