3 安楽椅子探偵は、かくのごとく考察する

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 血の色に染まった五十嵐くんの左目、その様子を思い浮かべたとき、俺の脳裏に、また別の思い出が自動的によみがえってきて、やがてすべてがそのときの光景でいっぱいになる。  そう、あれは…俺が中学生の頃だったかな。  俺の目が、五十嵐くんと同じように真っ赤になってしまったときのことだ。  俺も、朝起きて顔を洗うために洗面所の鏡を見たら、あんなふうに右目が真っ赤になっていて、衝撃のあまり、ザーーッと全身から血の気が引いたのを覚えている。  なにこれなにこれなにこれ…!? 俺の目、真っ赤なんですけど!!  昨日の夜はぜんぜん普通の白目だったのに! 血が出てるの!? 出てるよね!? だってこんなに真っ赤なんだもん! 死…死んじゃうの!? 俺の目、死んじゃうの!? どうしようどうしよう、なんか痛い感じしてきた、これなんか痛いよ、痛いよね!? 痛いようーーーっ!!  …実際はぜんぜん痛くなんかなかった、だって鏡を見るまでそうだって気が付かなかったくらいなんだから。  でも、血の色を見た瞬間、なんかものすごく痛いんじゃないかって気がしてきた、まあ…怪我の痛みとかってそういう部分あるよね。  とにかくこのときの俺はすごいパニックになって、慌ててリビングにいるはずの犬彦さんのところへ走っていった。  たしかこの日は土曜日で…俺も犬彦さんも休みでいっしょにうちにいたんだ。  で、廊下を走ってきた俺が、バンッて扉を乱暴に開けながらリビングへ入っていったら、想像通りにリビングのソファーにいた犬彦さんは、はじめは騒がしい俺の態度についてあきらかに文句を言おうとしている顔をしてたのに、それは、俺の顔を見て…真っ赤になった俺の右目に気が付いた瞬間、スッと変わった。  あのポーカーフェイスから、俺と同じく血の気が引いていくのが分かった。  そこからは俺が何も言わなくても犬彦さんは、てきぱきと支度を整えると、あうあうと動揺したままの俺の手を引き、うちを出て、車に乗せた。  目が痛いような気持ちでいっぱいの俺はろくに口をきくことができず、一方の犬彦さんのほうは恐ろしいくらいの真顔で、ひたすらどこかへ向かい運転をしていた。  いま思い出すと、あのとき犬彦さんはものすごいスピードを出して運転していた気がする、カーブを曲がるたびにタイヤがキキーーッっていうヤバイ音を立てていたような…本当にポリスに捕まらなくてよかった…。  で、犬彦さんの暴走運転は、うちから遠く離れた街中の眼科へと俺を連れてってくれたんだけど、悲しいかな、その診療所は土曜日だというのもあって、当たり前に入り口の扉は閉ざされており、もちろん人の気配もなく、あきらかな休診日だった。  なのに犬彦さんは気にするそぶりも見せず、その眼科の駐車場に車をとめると(その眼科は、民家のなかにまぎれるようにして建つ、古い二階建てビルの一階にあった)俺の手をぎゅっと強く握りながら、入り口の前までつかつかと速足で近づいていく。  突然自分の身に起きた異変に怯えまくっていた俺は、ただ犬彦さんに引っ張られるがまま着いていくことしかできなかったので、もはやおとなしい傍観者と化していた。  だからこの直後、犬彦さんが壊れるんじゃないかという勢いで、入り口のガラス扉を叩きまくりながら「てめえぇぇーーーッ!! いるのは分かってんだぞーーッ!! ここ開けて出てこいテメーーッ!! このヤブ医者がぁぁっ!!」と、ドスのきいた声で叫ぶのを、ただ見ていることしかできなかった。    
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