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とある山のふもと。かつて、ここには1軒だけ家があった。
持ち主が亡くなって以降、家は取り壊され、土地は売られた。人の手が入らなくなった土地は、すっかり雑草に覆われてしまった。庭に使われていた石積だけが、当時の面影を残している。
家主のためだけに引かれた小道も、埋められて跡形もない。昔は辺り一帯、青々とした草むらが広がっていたが、今は高速道路の橋脚がデンと立っているせいで見通しが悪くなった。
現状、ここにたどり着くための道が存在しない。ゆえに、ここに来るのは山の管理者、あるいは手入れをする業者のみであるが――。
ザリッ。
きれいに磨かれた革靴が、砂利を踏みしめた。
上下そろったスーツ姿。山奥を歩くには、どう見ても不似合いな服装である。
「変わらないのは、木と小川だけか……」
風が吹く。乱れた髪を撫でつけて直し、ノブモトはつぶやいた。
ひとつ深呼吸をして、目を閉じた。少しずつ、自分の力を開放していく。
万が一、他の人間が現れた時のことを考えて、自分の姿とこれからやることは見えないように加工してある。
雑草の姿が、高速道路の橋脚が、薄くなっていく。全体が白くぼやけて、中から小道が、薄紅色の屋根が、白い壁が現れる。
ノブモトはゆっくり目を開けた。
あの頃の、懐かしい景色。彼女の家。
「こんなことしても、あなたに会えるわけじゃないんですけどね」
ポツリとこぼし、苦笑いを浮かべて首を振った。
1歩、また1歩進む。彼女に会いに行っていた、当時の気持ちがそのまま湧いてくるようだった。
同時に、少しだけ胸が痛んだ。
いつも通り、回り道をして目的地の窓に向かう。
窓は開けっ放し、レースカーテンが風に揺れている。
部屋の中には、人はもちろん、ベッドも本棚も、何もなかった。
ノブモトは窓の縁に腰を下ろした。長々と息をはく。
「まい子さん、報告に来ました。全て――終わりましたよ」
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