灯りと自由落下

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灯りと自由落下

「君はクビだ。」 ブルドッグ顔の店長が言った。喋ると頬の肉が揺れる。声は口から出ているのか、それとも頬から出ているのか。 「あの...。」 「クビだ。」 なるほど。クビか。吉岡はやっと店長の言葉を聞き取る。そうそう。クビ、クビね。 「クビって、解雇ってことですか?」 バウバウ。店長が何か言った。もう、殆ど聞き取れないけれど、吉岡は自分が店を解雇されたということだけ理解した。 立ち尽くす吉岡を置いて、店長はバックオフィスを後にする。ドアを閉める音で、蛍光灯の光が揺れた。 吉岡は制服を脱いで、いつものように丁寧に畳む。バッグに入れて持ち帰り、自宅で洗濯するのだ。いや、もう洗濯もしなくて良いのか。そう思ったら、急に怒りが湧いてきた。 「ふざけんなよ。」 吉岡は畳んだ制服を乱暴にテーブルに投げつけた。 吉岡はたった今解雇された家電量販店に5年間務めた。5年もいるとそれなりに愛着も湧く。それに何より吉岡は商品である家電が好きだった。家電は、当たり前だが、実用的だ。米を炊いたり、衣服を洗ったり。常に人々の生活と供にあって、そしてそれぞれに具体的な目的を持っている。家電を売る仕事は、それ自体退屈な仕事ではあるけれど、家電に囲まれていると、吉岡自身も有用な人間であるような気になれる。 それが、あのブルドッグ男に、あっと言う間に職を奪われたのだ。彼は3ヶ月前に新任で他店からやって来た。最初から嫌な予感はしていた。店舗の古株的な存在になっていた吉岡は、新しい店長のやり方に反発した。しかも、吉岡はブルドッグが嫌いだ。 吉岡はバックオフィスを出て、ノートPCの売り場を通り過ぎた。並んだパソコンの黒い画面には憎らしいブルドッグの顔が映っているように見えて、吉岡は黒の液晶を叩き割ってやりたいと思った。しかしどうにか衝動を抑え込んで、吉岡は店の外に出た。最後に何か店長に言ってやろうとも思ったが、言うべき言葉が見つからずに、吉岡は店を後にする。 万引き防止のセンサーの向こう側は、帰宅時間の慌ただしい新宿の夜があった。
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