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「……いただきます」
「おー、挨拶はちゃんとできんのか」
「うん。昔、パンをくれたおじさんが教えてくれた」
そう答えると、男は「そうか」と特に興味も無さそうに目を伏せた。
私は白い器に注がれたスープにそっとスプーンを入れてみた。銀色のスプーンが淡い黄色に沈むと、ほんのりと甘い香りが湯気と共にはじけた。熱そうなそれを何度か息を吹きかけて冷ます。初めて飲むこれにワクワクと胸を弾ませながら口に含んだ。
「美味しい……こんなの初めて飲んだ……!」
口内に香る甘さと、舌を包んだ温もりに目を輝かせる。味わったことのない温かさに涙が出そうになった。
「コーンスープでそんな喜べるなんざ幸せなやつだな。……まぁ、美味いから気持ちは分かるけど」
男はどこか嬉しそうに頬を緩ませて同じようにコーンスープを啜った。
「なぁ、ガキんちょ」と黙々と他の料理にも手を付け始めた私を彼は呼んだ。
「私はガキじゃない」と答えれば、「見るからにガキだろ」と返ってきたので腹を立てた。不機嫌そうな顔になっていたのか、男が呆れたように自己紹介を求めてきた。
「名前、ないの。あるのはこの番号だけ」
私はすっかり綺麗になったお気に入りの灰色の髪を持ち上げて、彼に背を向けた。露わになるうなじに刻まれているのは、『317』という番号。数年前に始まったスラム街の人間を管理――否、一般人と差別するために焼き付けられた番号だった。
「317……じゃあ、ミーナとかどうだ?」
「へ?」
「へ?じゃねぇよ。名前だ、名前。番号で呼ばれちゃ嫌だろ?」
あまりに唐突のことに、私は目を丸くした。名前なんて、そう簡単に貰えるものなんだと目の奥が微かに熱くなる。ミーナという響きを反芻させて、私という存在に溶かし込んでいく。
「ミーナ……いい名前」
「気に入ったか?」
「うん、ありがと」
その名前を噛みしめるように微笑すれば、男は得意げに鼻を鳴らした。
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