修復と喪失

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修復と喪失

 私は月曜日から約二日間、風邪をぶり返して寝込んでいた。頭は鋭い痛みを発し全身も熱い。  こんな長引く風邪をひいたのは生まれて初めてだ。  りかこにひどい言葉を投げかけた罰なのかもしれない。  自業自得とはいえ辛い、こうしている間にもりかこが遠くに行く時間は確実に迫っているのだから。  りかこが引っ越すのは土曜日、りかこと映画に行き損ねた憎き日から約一週間後となる。  今は水曜日、あと三日後にはりかこがいなくなってしまう。  メールで何度も「ごめんね」と謝っても返答なし、「大嫌い」なんて言ったら簡単には許せないよね。こればっかりは口で謝罪するしかない。  そのためにも、早く風邪を治さないと。  汗を流した影響か、口の中がからからに乾いていた。  私は、近くにあるお盆に乗っている水入りコップに手を伸ばし、一気に飲み干した。時間が立っているためか生ぬるかった。  「めぐみ、入るわよ」  ノック音の直後、母が私の部屋に現れた。白い湯気を発した土鍋を乗せた盆を手に持って。  母お手製のお粥のようだ。  「どう? 具合は」  母は私の側に腰掛ける。  「大分良いみたい」  私は毛布と一緒に起き上がり、母に言った。本当はまだ体調は良くないが心配させたくない。  「明日には学校行けそうだよ」  「そう、でもあまり無理はしないでね」  母が私に暖かな目線を向ける中、私は軽く頷き、母が持ってきてくれたお粥を口に運んだ。その瞬間、私は思わず口を止めた。なぜなら口の中には高熱に広がったから。  私は熱が冷めるのを待った、しばらくすると舌が熱さにも馴れてきたので、それを見計らって、白いお粥を飲み込んだ。  「あー、熱かった。お母さんのお粥は美味しいよ」  私は熱から解放され、心の底から安心した。もうちょっと冷ましてから食べれば良かったかな。  「それくらい元気なら心配なさそうね」  母は薄っすらと微笑む。  ふと、私はお盆に乗っている緑色の箱に目が行った。  「これは一体何?」  緑色の箱を手元に乗せて、私は母に訊ねる。こんな箱は野口家で見たことがない。  すると母は。  「開けてごらん」  私は母に言われるがまま、箱を開く。  それを見るなり私は驚いた。  私の大好物のハンバーグにりかこの字で「ごめんね」と書かれているではないか。  ハンバーグの形は丸くなく、いびつな形をしている。  「これ、どうしたの?」  「さっき、りかこちゃんが現れてね「めぐに渡して」って届けに来てくれたの」  「うそ……」  私はそれ以上言葉が出なかった、だって酷い事を言ったのにこんな事をしてくれるなんて。私はお粥をすくったさじで、りかこが作ってくれたハンバーグを一口放り込む。  「美味しい……」  私は口に手を当て呟いた。味が薄いのは私の体調を考慮したのだろう。  「二日間かけて、りかこちゃんはハンバーグを作る特訓をしていたの、あなたに一番美味しいハンバーグを食べてもらいたくてね」  心の篭った料理に私は嬉しく思った。同時にひどい言葉を投げかけたことを改めて後悔した。  二日間、連絡が取れなかったのは、ハンバーグを作る時間に費やしたためなんだ。  謝りたい、謝って壊れた仲を修復したい。  ひどい事を言っても、ここまでしてくれるりかこともう一度仲直りしたいよ。  私は胸のうちを母に明かした。りかこにひどい言葉を投げかけたことも正直に話し、りかことはもう一度友達として接したいことも。  すると母は、私の頭をそっと撫でてくれた。  「大丈夫よ、仲直りできるわ、あなたとりかこちゃんですもの」  「本当にできるかな……大嫌いなんて言っちゃったんだよ……もう許してくれないかも」  例えハンバーグを作ってくれたとしても、もしかしたら風邪を引いたから単に義理でやったのかもしれない。  りかこがそんなことをするとは思えない(ハンバーグにごめんねと書いてあったとしても)がどうしても不安だった。  何度も通ってきた仲直りに対する不安、どれだけ年を重ねても消えないらしい。  「ちゃんと心を込めて謝れば気持ちは伝わるわ、一度でだめならば何度もやりなさい、相手に自分の気持ちが伝わるまで」  私は母の言葉をしっかり耳に入れた。  不安だけど、やっぱり実行しないといけない。このまま仲直りできないままでサヨナラなんて嫌だから。  私は緑色の箱を閉じ、お盆の上に乗せると、再び毛布の中に体を丸めた。  次の日。  白い太陽が高く昇り、雲ひとつ無い天気だった。いつも学校へ行くために通る道を私は走っていた。  長引いていた風邪は、りかこに対する迷いと一緒に吹き飛んだ。  酷いことを言ったのならば、その分良い思い出を沢山作ろう、どれだけ短くてもいい、ちっちゃなものでも構わない。   バックの中には、りかこから預かっている緑色の箱を入れていた。勿論ちゃんと私の手で洗った。汚いまま返すのは失礼だからね。  しばらくすると、遠くからりかこの後姿が見えて、私はずっと昔から呼んでいる名を呼んだ。  「りかこ!」  私の声に反応し、りかこは足を止めて、私の方を向く。  怒りの欠片一つない、穏やかなりかこの表情がそこにあった。  「この前はひどいことを言ってごめん……私、りかこの気持ち考えてやれなくて、自分の事ばかりで……本当にごめんね」  心臓が高鳴りする中で私はりかこに謝罪した。本心では不安でたまらないがここでチャンスを失うと、気持ちが逃げてしまうから。   私が謝ってからも、りかこはこっちを向いたまま黙っていた。  どうなるんだろう?   私の頭の中は良い考えと悪い考えが交差していた。どっちが出ても良いように。二つの答えは息を潜めている。  すると、りかこは首をかしげ、左指を頭に当てた。  「それって何の話かな」  「え……?」  「あたしは、めぐにハンバーグを渡した時のことしか覚えていないよ、めぐがひどい事を言ったって何の話なの?」  私はどう言おうか悩んだ。もしかしたら忘れるためにわざやっているのかもしれないが、それでも「りかこなんか大嫌い」って言ったなんて話せば傷つくだろう。  私でもりかこから「大嫌い」なんて言われれば、心臓を抉られるほどの衝撃が全身を駆け巡る。  「めぐは昔っから細かいことを気にしすぎだよ、おじいちゃんのことはタイミングが悪かった。それだけ、めぐのせいじゃないよ」  空気を察し、りかこは話した。  「でも……」  「その話はチャラにして、今日の放課後ショッピングに行こうよ! 新しい服を買いたいんんだ。今度行く所は都会だからマシな服がないと、近所に笑われるんだ」  りかこはすぐ側にある未来に対し希望を抱いていた。  彼女の様子からして、月曜日のことは一欠けらも気にしていないようだ。私の謝罪が届いたと言ってもいい。  りかこの性格からして、こうなる事が分かっていたけれど、とにかく良かった。  私の胸は暖かさに満ちていった。  そんな時だった。私の耳に小さな声が届いたのは。  ……め……み……  ふと、誰かが私の名を呼び、私は周囲を見渡す。  私の様子がおかしいことに、りかこは声をかける。  「どうしたの?」  「いや、何でもない、気のせいみたい」  私は言った。ここには私とりかこ以外に人はいない。  では、幽霊が私に声をかけたのだろうか? そんな馬鹿げた非現実的な話など無い。  すなわち空耳だと言えるだろう。  が、次の瞬間、私の全身は大きく揺さぶられ、あまりの揺さぶりに耐え切れず私は地面に倒れ込む。  私の意志ではない、誰かが私の体を揺らしているのだ。  痛くない、苦しくない、が目に見えない何かが私の体を操っていると考えるだけで恐怖が膨れ上がる。  「どうしたの? 大丈夫?」  りかこが私の目の前で屈んで、私の体に触れる。  大丈夫だよ、そう言いたかったのに、揺さぶりが邪魔をして声に出せない。  理解し難い状況の中、りかこの心配そうな顔を最後に、私の目の前は真っ暗になった。  私は目を覚ました。  私の側には、目に涙を浮かべた母の姿があった。  どうやら、私の体を揺さぶって起こしたのは母のようだ。母は私が起きないときはよくやる方法。  しかし、今はそんな事を考えてはいられない、なぜなら母が泣いているから。  風邪気味の娘を起こしたのだから、重要な事態が起きたといってもいい。  「かあさん、 どうしたの?」  私は起き上がって母に訊ねた。  一体何が起きたのだろう、また父と喧嘩でもしたのだろかと思ったのだが、この時、なぜだか今見た夢のことが頭に過ぎった。  まさか……  母は涙を拭き、鼻をすすり、ようやく口を開く。  その言葉は、とてつもなく信じがたいものだった。  「りかこちゃんが……昨日の夜……交通事故で亡くなったんだって」  その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中は白で塗りつぶされた。りかこの死を受け入れないかのように。
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