黄昏色の獅子と少年王

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ふたつの獣が叫びながらぶつかりあう。 片方が顔に爪を立てたかと思いきや、もう片方が牙を剥き出して噛み付き、上下をめまぐるしく変える。 どちらかが倒れるたびに黒い砂塵が飛び散り、黄昏色の炎がぼぼっと爆ぜた。 黒い獣は突如現れた邪魔者に対する怒りで満ち溢れていたし、黄昏の獣からはここで退いてはなるものかという強い気迫を感じた。 凄絶な戦火の中心に落とされた少年王はただ見上げ、震えるしかなかった。 そんな少年王を見逃さず、黒い獅子の体から溢れた砂が蛇のようにうねって襲い掛かる。 「あ…っ!?」 少年王は両腕を顔の前で交叉させた。その瞬間黄昏の獅子が彼の小さな体を庇う様にして回り込んだ。ごうっと吐き出された炎が砂を飲み込み掻き消す。 少年王は驚いて腕の隙間から獅子を見つめたが、そんな自分を一瞥することもなく彼は向かって行った。 さっと離れた体温は、未だ柔らかく守るように少年王の肌に残っていた。 「何で…」 激しい攻防を繰り返し、やがて黄昏の獅子が黒い獅子の喉元に食らいついた。黒い獅子は獣の姿からばさっと砂に戻り、恨み嘆きを叫びながら乾いた風にさらさら散っていった。 静寂を取り戻した夜の砂漠で大きく息をつく音が聞こえた。少年王はその姿を見つめていた。 「…お前が、私を助けるのは二度目だ」 呟きがぽとりと落ちた。 獅子の体にはいくつもの傷が付き、見るからに消耗している。 「どうしてだ」 助けてくれと願った時、現れたのはまたお前だった。怒りを剥き出して追い立てたくせに、何故傷を負ってまで私を守る? 獅子は口を閉ざし少年王をけして見ることは無かった。 「また答えないのか!!」 お前は私に何を求めているのだ。 ――それがわからなければ私だって、お前にどうしようもないではないか。 「連れ去っておいて、突き放して、挙句守って。お前は勝手な奴だ!」 少年王は溢れる感情を抑えきれず涙を流して怒鳴った。 「お前に助けてほしくなどなかったぞ!!」 びくりと獅子の体が震えた。暫しの沈黙ののち獅子は閉ざした口を開いた。 「…わかっているとも」 あの黒い獅子を見てしまえばそう答えるしかない。あれが少年王の中の獅子なのだ。 「このまま東へ向かうといい。人に会えるだろう」 獅子は瞳を伏せた。 この少年を自由にしよう。手に入れたいと思ったのが間違いだったのだ。 ――愛したいと告げるには、もう傷つけ過ぎた。 「…すまなかった」 少年王のすすり泣く音が止まった。今、この獅子は何と言ったのだ。 そこでようやく獅子の様子が以前と違うことに気が付いた。慚愧するような声には、いつもの傲慢さは欠片もなかった。 まるで何かを、全てを諦めてしまったような。 「獅子…!」 顔を上げれば獅子はのそりと動き出して彼の元から去ろうとしていた。小さく見える背に何故だか胸がぎゅうと締め付けられた。 どこに行く。またあそこに戻るのか。 あの取り残された都に。 「待、」 少年王が思わず手を伸ばした時、離れるのを待っていたかのように彼の足元からぶわっと黒い砂が舞いあがった。 「――少年王!!」 荒い呼吸音と、熱い筋肉の流動を感じる。少年王は強く瞑っていた目を開いた。 「無事だな」 自分の上に覆いかぶさった獅子が唸る。 ざわざわと音がする。近くにまだあの砂がいるのだ。 少年王が震えていると獅子の前足が体を抱き寄せた。あの夜のように体が触れあって、恐ろしいはずなのに。力強く感じる鼓動にどこか安堵している自分がいる。 ――はぐれものめ 少年王を抱く前足の力が強まった。少年王は獅子の下で息を殺して交わされる会話を聞いていた。 「失せろ。いくら欲しがっても無駄だ。貴様らにはくれてはやらぬ」 黒い砂は荒れ狂い、周囲に砂塵を吹き散らし月の光を陰らせた。 ――何故そうまでして人間を守る ――お前は私達と同じ、世から外れたはぐれもの ――全ての者に忌み嫌われしもの ――その子供だってお前から逃げてきた 獅子は四つの眼を歪ませた。それに気が付いた砂達は、わっと砂嵐を巻き起こし周囲を取り囲んだ。 ――拒んでいるぞ ――お前を嫌っているぞ 獅子は吼えることも暴れることもせず、気丈に黒く蠢く空を見上げた。 鋭い刃物で剥き出しの心を傷つけられるような胸の痛みは決して表には出してはならない。ひとかけの傷も見せてはいけない。そうでなければ取り込まれる。 「わかっているとも、それがどうした」 少年王が己を拒んでいることなんてとうに理解している。理解した上でも、彼を守りたいのだ。少年王がそれを望まなくともいい。 砂が嘲るように囁いた。  ――お前はその人の子を愛してしまったのか どくん、と音を立てたのは獅子の心臓か。それとも少年王の心臓だったのだろうか。辺りに下衆な笑い声が吹き起こった。 ――愛してしまって 拒まれたのか 獅子は思わず膝をつけた。自分の下で呆然とこちらを見ている少年王と目が合う。その表情には驚きと微かな恐怖、そして嫌悪が滲み出ていた。 「少年王…」 そんな目で…見ないで、くれ。 体がびしりとひび割れる感覚がした。そのわずかな隙間から闇が獅子の心へ入り込む。 ――入られた。 瞬時に悟った獅子は蛇の尾を少年王の体に巻き付け、その体を引き離して離れた砂地へと投げた。 突如放り出された少年王は髪を乱して起き上がった。 「獅…」 「汝は何も聞かなかった」 言い放つ獅子に、少年王は息を飲んで立ち尽くした。 「そのまま逃げろ。二度と戻るな」 何も答えない。ただその唇だけが白く震えていた。 「行け!!」 獅子は咆哮を上げて彼を追い立てた。肩を跳ねさせた少年王が勢いのまま背を向ける。 その背が離れていくのを見つめながら、獅子は重くなった体を叱咤して彼を追おうとする砂を振り払った。 「手を出すな」 ――お前の元からも逃げてしまうぞ いいのか 「構わぬ。あれのことは諦めろ」 獅子の頭の中でざざっと砂の蠢く音がした。 ――ならばお前があの子の代わりになるか? 「…ああ、いいだろう」 巻き起こる砂嵐は新たな獲物を見つけた狂いの歓喜に満ち満ちていた。
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