黄昏色の獅子と少年王

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「こんな奴らの仲間になるなど恥を知れ!」 がつんと横っ面を殴られ、獅子は重たい瞼をこじ開けた。吊り上がった黒檀の瞳が自分を睨みつけている。 「…少年、王…?」 一瞬、また砂達の見せる幻かと思った。しかし目の前で声を張り上げる者は紛れもなく自分が惹かれてやまない少年で、思わず伏せていた頭が上がった。 何故ここにいるのだ。逃げたのではないのか。 獅子はわけもわからず首を振った。 「何故戻ってきた。阿呆め、逃げろと…」 「黙れ!阿呆は貴様だ!!」 少年王は再び獅子の横っ面に平手を打った。 人間の力で打たれたとて大した痛みはない。けれども確かに伝わる手のひらの感触が、少年王が戻ってきたのだという事実を鮮明にさせた。 「勝手に死のうとするな!お前は強いのだろうが!」 吹き荒れる砂嵐の中、黒髪を乱して少年王は獅子を怒鳴りつけた。 「こんな奴ら、一息で散らせてしまえるのだろう!何故侮辱に甘んじる!お前に誇りはないのか!!」 「…そんなものは、元よりない。孤高の王よ、我は人間とは違うのだ」 汝がそう言ったのだろう。 その言葉に少年王は息を呑んだ。獅子は濁った瞳を少年王を向けた。 「所詮、汝の言う通りの化物よ。散々と恐ろしい思いをさせたな」 獅子の口から漏れでる声からどんどんと生気が失われている。逆に砂嵐は勢いを増し、一回り大きくなったようにすら思えた。 「わ、私は」 少年王が何かを言いかけた時、獅子は彼の胸の中へ頭を埋めた。 「だがけして傷つけたいわけではなかった…それはまことだ。誓ってもいい」 愛したかった。けれど、孤独であり続けた故に人の愛し方など分からなかった。 「寂しかったのだ。例え人の真似事であろうとも、共に過ごしてみたかった。そのせいで汝の苦しみに気づけなかった」 許してくれ、と獅子が腕の中で呻いた。少年王は胸が苦しくなり獅子の頭を強く抱き締めた。 獅子がこんなに思い悩んでいたことなど知らなかった。いや、気づかなかった。 「お前は私を愛していることを隠していたんじゃない、私に伝える言葉もわからなかったのだな」 自分の辛さに囚われて、苦しみに気づけなかったのは同じだ。 「お前に酷いことをしてしまった」 ぽたりと獅子の鼻先に少年王の零した涙が垂れた。獅子はゆっくりと瞼を伏せ、言った。 「もういいのだ」 「起きろ」 「行ってくれ。でないと汝も取り込まれてしまう」 少年王ははっとして顔を上げた。自分達を取り囲む砂嵐の中に、またあの黒い獣が佇んでいる。 己の心を喰おうと、ぎらぎらとした目をしている。少年王は黒い獣を睨み返した。 あれは私の心が作りだした偽りの姿だ。本当の獅子は私の腕の中にいる。 もうこの獅子を恐ろしいけだものとは思わない。 「消えろ、お前など恐ろしくない!」 そう唱えた時、黒い獣はみるみるうちに歪み、砂塵と果てて風に散った。 少年王は抱えた獅子の頭を強く抱きしめた。 「獅子、死ぬな」 私を愛しているなら死ぬな。今度こそお前が知りたい。 「もう一度私を愛してくれ」 獅子は四つの眼を開き、咆哮と共に黄昏色の閃火を吐き出した。黒い砂嵐はたちまち炎に吹き散らされ、あたりから消えていった。 気付けば、先程まで荒れ狂っていたとは思えぬほどに静かな夜が広がっていた。 獅子が大きく息を吐き、どうと倒れ込んだ。少年王が慌て、その頭を抱き起こす。 「おい、しっかりしろ!」 獅子は少年王の腕に体を預けた。柔らかい肌のぬくもりと、小さな心音を感じる。 「…ここで死ねれば幸せだな」 「おかしな冗談はよせ!死んだら許さん!」 ひとりごちると少年王が叫んだ。獅子は閉じかけた四つの目を開いて、少年王を見上げた。 あんなにも己を拒んでいた少年王が、こんな言葉をかけてくるとは思わなかった。 「ならば死んでしまえとでも言うかと思ったが…」 「っ…そ、そんなこと、もう言うものか」 少年王は俯いた。黒髪に隠れた顔はばつが悪そうな面持ちをしていた。獅子は細い腕の中で小さく唸った。 「ただの戯言だ、そんな顔をするな…どれ、もう離せ」 獅子がゆっくり体を起こそうとする。しかし少年王はそれを許さずにぐっと抱き寄せた。 「おい、よせ」 あまり少年王の肌に触れていたくはない。また恐ろしい思いをさせてしまう。そう思ったのだが、少年王は獅子の内心を汲み取ったのか、気丈に言った。 「平気だ」 「……強がるな」 「強がりなんかじゃないぞ、私はもう怖くない」 あの黒い獣だって消してやった。そう言い切る少年王に、獅子は力を抜いて呆れたように笑った。 「…汝は我より余程強いな。あの砂共が逃げるわけだ」 少年王は不可解そうな表情をした。砂を吹き散らしたのは獅子であって、自分は何もしていない。そう言いたげな少年王の腕の中で獅子が言った。 「力や能力のことでは無いぞ、心の話だ」 黒い砂は心の陰りに巣食うものだ。陰りが無くなってしまえば近寄っては来れない。 己の中の恐怖とは、大抵は目を背け見ないようにするものだ。それを受け入れ、打ち勝つというのは。 「我には出来ぬ事だな」 少年王があの暗闇から引き上げてくれなければ、どうなっていたか知れない。 少年王は強く、気高くて、どこまでも美しい。だからこそ、だからこそだ。 「…汝は人の世に返さなくてならぬ」
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