黄昏色の獅子と少年王

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獅子が足を止めた頃には、少年王はぐたりとして力を失っていた。いくら獅子が俊足とは言えど少年王の体感ではかなりの長い時を走った筈だ。 その証拠に俯いた視線の先に見えるものは既に砂ではなく土漠の荒野だった。 休むことなくずっと強い陽の光に晒され続ければ体も弱る。 「人の身とはかくも脆いものだな」 感心するような声色に少年王は顔色を悪くしたまま目を鋭く尖らせた。無礼な。このまま死んだ方が楽だったかもしれない。 しかしそんな思いも虚しく、少年王の命の灯火は未だ細く燃え続けていた。 獅子は脆いと見下したが少年王自身、人の身は意外にも強いものなのだと残酷さすら感じた。 眩む視界の中虚ろな意識で揺られていると、ふいにふっと体が軽くなった。ゆっくり顔を上げて首を巡らし、自分を取り囲む世界に驚いた。 「ここは…」 「我の住処だ」 そこは土漠の真ん中ではなく古びた遺跡の中だった。 獅子が歩いてきた方向を振り返れば石で出来た大きな迫持(せりもち)がそびえ立ち、向こうに覗く半円形に切り取られた景色は土漠。更に向こうには件の死の砂漠が広がっている。 獅子の歩く石畳の左右には兵が整列するようにして大きな石柱が立ち並んでいる。ひび割れたものもあれば崩れててっぺんがないものもあった。 辺りは人や動物の絵を刻まれた壁がぐるりと遺跡を囲っている。それを見て、出入り口は今しがたくぐって来た迫持だけなのだということがわかった。 獅子は遺跡の中を進む。進むたびにぼろぼろの岩がいくつも散乱しているのが見えた。この遺跡は恐らく小さな国か都市だったのだろう、少年王はそう考えた。 石畳はとある建物にまっすぐ続いていた。人の形を成した像が左右に並ぶ門を持つそれは廃れた神殿。 崩壊した他の場所と比べ、幾分か形を保っているそれを見上げていると獅子が問うた。 「感じるか、この地に根付く深い魔力を」 「魔力?そんなもの、」 「ここに来て少しは楽になったであろう」 少年王はそう言われ気が付いた。 喉の乾きこそ残っているものの、先程までの酷い頭痛や目眩は和らいでいる。焼け付くような暑さすらも感じない。 高く昇る太陽は未だ強い光を放ち、地はそれを照り返しているというのに。 獅子が少年王の体を石畳の上へ下ろした。石は不思議な程にひやりとしていた。 「かつて栄えた魔法の国だ。住む者が消えた今でも、この遺跡は強い魔力を持ち時を止めたまま生きている」 「時を、止めて…?」 「ここに時間の流れはないのだ」 見るがいいと獅子に促され、少年王はふらつきながら立ち上がった。石畳のすぐ横を流れる水路を覗き見る。生き生きと透き通ったその水は流れを作ったまま止まっていた。 少年王は喉に生唾を押し込んだ。 「飲みたければ飲むといい」 「…」 「死にはせぬ、それは神殿の中の泉から引いた水路だ」 少年王は警戒を顕わにしたが、どうにも渇きに耐えられずついに両手で水をすくった。 手を突っ込んだというのに波紋も広がらず流れを保ったままの水は奇妙なものだ。 天を仰ぐようにして飲み干せば手から零れ落ちたしずくが胸元へ流れていった。 一頻りそうして飲み続け、ようやく体が満たされると頭もはっきりとしてきた。 少年王は口元を腕で拭って獅子に顔を向けた。 「この都も貴様が滅ぼしたのか」 「我が最初に訪れた時からここはもうこの姿だった。闇のものに食い荒らされた跡はない。恐らくはこの地が死の砂漠へと変わる前に戦で滅んだのであろう」 獅子はのっそりと歩き出した。神殿へと続く階段を上り、中へと足を踏み入れる。少年王は訝しみながら彼についていった。 神殿の中のかがり火の炎は燃え上がったまま時を止めていた。黄金で出来た壁や大きな円盤の鏡が煌々と照らされ、少年王と獅子の姿を揺らめきながら映し出した。 「恐れることはない。ここに悪いものはなにひとつ無い」 「こんな土地にあるのにか」 「どうやら人ならざるものは入れぬ強い結界が張ってあるようだ」 「ならば貴様が入れるのはおかしい」 獅子は足を止め振り返った。少年王は体を強張らせたが臆することなく獅子を睨んだ。 獅子は暫く見つめた後ふいと顔を背けた。 「全ての世から外れた場所だ。だからこそ我はここに入ることが出来る。汝もな」 少年王は獅子の言葉に眉を顰め苦い顔をした。 「逃げようなどとは思わぬことだ」 「逃げ場などどこにある。それすら無駄なのであろう」 「そうだとも。時の止まりしこの都で、永劫を我と生きるのだからな」 それが約束。少年王はぐっと拳を握りしめて頷いた。
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