黄昏色の獅子と少年王

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その生き物は異形だった。 獅子に良く似た巨体。ただ、姿は人の世で伝えられる獅子とは少し姿形が違っていた。 見るものを凍り付かせる四つの眼に三匹の蛇からなる尾。黄昏色のたてがみに万物を燃やし尽くす炎の唸り。 その生き物は獅子ではない。ならば蛇かと問われればそれも違った。 彼は何でもなかった。強いて名を付けるのならば力の化身。 獅子は強大な力を持っていた。万物を焼き尽くし滅ぼすほどの力。彼の通ったあとには何も残らず全てが無に返すことすらあった。 そんな己の力に気が付くと、彼はやがて驕り、本能と欲のままに暴れた。 気分はよかった。自分は強いのだと思えてならなかった。 数多の命を食らい、文明や国を壊し滅ぼした。人や動物だけでは飽き足らず精霊や魔物達をも脅かした。 獅子が暴れるのは力を誇示する為だったり、姿を恐れられ詰られた腹癒せ、単に暇つぶしの時もあった。 傲慢が満ち満ちていた。誰も己を止められるものなどいないのだ。 幾年を生き、ただ暴れること楽しいという気持ちが薄れてきた頃、獅子の心にあるものが生まれた。 それは吹けば飛ぶような小さな違和感のかけらだった。獅子は深く考えもせずにそれを踏み潰して、慣れ親しんだ暴力の道を進んだ。 けれどもかけらは無くなるどころか、歩を進めれば進めるほどに心に降り積もり、ふとした瞬間に音を立てる。 ただ己が強いことが快感だ。関係ない、やりたいようにやるだけだ。 それなのになんだ、この気持ちは。 積もり続けた違和感はいつしか山のようになっていた。 きっかけは何だったのだろう。 我が子を腕に抱き乳を与える母親の姿を見た時か。亡くなった友の為に涙を流す青年を見た時か。愛を誓い合う男女の姿を見た時か。 違和感の山は崩れ出し獅子を襲った。 ――彼らと己は何かが違う。 初めて言い様の無い不安というものを感じ取った。不安に一歩も進めなくなった獅子は自ら足を止めた。 足が止まると今度は動けなくなる。どこにも進めずに思考の中を迷走した。 一体何が違うのか。わからない。けれど何かが確実に違えている。 長い年月の間、獅子は懸命に考えた。 そしてわかった。 「人は、同じように命を支え合い生きている。人だけではない。生物は皆そうだ。友がいて、伴侶がいて、子が生まれ家族ができる」 彼らには仲間がいる。 獅子は初めて己が孤独なのだということに気が付いた。突然、奈落の底に落ちるような恐怖が心を取り纏った。 獅子の強大な力の持ってしてもその恐怖には太刀打ちできなかった。 その日から仲間を探し求めた。 この世の端から端へ、幾多の生物を見て、探し続けた。それでも自分と同じ者は見つかることはなかった。 人ならざるものならばあるいはと思ったが天の使いであるもの達は獅子をけがらわしいものを見る目で拒み、もとより知能の低い闇のものたちは獅子を襲うか恐れるかのどちらかで受け入れてはくれなかった。 獅子はやがてこの世の外れである死の砂漠を徘徊するようになった。 そこで美しい都を見つけたのはほんの偶然。人の姿はなく所々が崩壊し、とうに滅んだ都のようだった。 歩き疲れ、探し疲れた獅子はその中にひっそりと隠れ住むことに決めた。 ここが魔法の都なのだと気づいたのはすぐだった。 驚くことにその都は時を止めて今尚誰も帰ることの無い土地を守っていた。過去にも未来にも行けずに世界から切り離された場所。 悟った。 この都は自分と同じだ。 獅子でもない、蛇でもない。光の者にも、闇の者にもなれない。どこにも交われない。 どこから生まれてどこに還るのかもわからない。 強い力があろうと独りでは生きていけない。この都のようにただ止まって、外を眺めるだけの存在。 体を蝕む不安感が何なのか、ようやくわかった。 「さみしい」 獅子声を上げて泣いた。
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