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蛙は鳴くのをやめた。
月明りだけ地面を照らし、水がはられた田んぼは月を照らし返す。
風が吹けば緑がざわめき、止めば深淵のように音一つない。
「……」
成形がまばらなあぜ道をただただ歩く。
足に何か刺さる気がする。
目を下に向ければ、靴を履くのを忘れていたことに気づいた。
「……そう」
自分でも顔がほころんでいることがわかる。
唇が、手が、足が震えているのも。
手のひらより少し大きいくらいの鋭利で冷たいものを持っていることも。
この漆黒の中に消えてしまいたい。
そんな文学的な言葉しか出てこない。
そのくらいきっとおかしくなってしまった。
「ハハッ」
私の笑い声はこんな声だったろうか。
もう一度笑ってみよう。
今度はお腹に力を入れてみる。
思わず顔が歪んでしまった。
力を入れたあたりから太ももへ伝う何かがあった。
「……そう」
ふと来た道を振り返ってみた。
私が歩いたあぜ道の先にささくれだらけの民家が一つ。
そこには、真っ黒なウサギの人形を抱える小さい子どもがいた。
私はもう一度前を向いた。
歪んだ顔は、さぞ晴れやかだろう。
あぜ道を抜け、穴の補修跡が目立つアスファルトの道に出た。
足の裏に細かい石が刺さる。
漆黒でもわかる自分の醜態。
お腹のシミは漆黒よりもさらに濃い黒色だ。
足を伝う液も黒。鋭利な冷たいものに付着したものも黒。
黒、黒、黒。
「黒いなあ」
力が入らない。ひざから崩れ落ちそうになるが、なんとか耐えた。
もう一度笑って空を見上げる。
それはそれは綺麗な輝きを放つ無数の宇宙のゴミ。
「……ゴミでも輝ける」
自然と何も持っていない片方の手で拳を作った。
その拳を空へ掲げた瞬間、深淵を裂くけたたましいサイレンと、赤く回る光が宇宙のゴミの輝きを消し去った。
無数の足音と行き先を塞ぐように迫る人工的な白い光。
また訪れた深淵。すべてを無視して空を見続けた。
そこでもう逃げられないと言われた気がいたので、声がした方を向いて笑ってやった。
逃げる。何を言っている。
逃げるわけないだろう。
笑えば痛みが全身を走る。
手から何かが零れ落ち、掲げた腕が曲がり、破顔した。
「取り押さえろ!」
元気な野太い声とイキイキした身体を持った同じ服装の人間が私の動きを止めた。
黒、黒、黒。
私も黒。
私の人生は黒一色。
一瞬差した光は幻で、その後は黒一色。
世間様に胸を張れることなどなかった。
ゴミ以下の黒。
私の手はとうに黒かった。
きっとあの子の目にも黒く醜悪に映っただろう。
お気に入りの人形を黒く染めてしまったのだから。
それでも、今日だけは宇宙のゴミのように輝ける。
ほんの一瞬かもしれないが、輝けるかもしれない。
でも。
その一瞬を掴むために、私はここで終わるのだ。
脱力した身体が白黒の車に詰め込まれた、午前3時。
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