【アセスメント】膝下、ふわっと細いひだひだで

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【アセスメント】膝下、ふわっと細いひだひだで

「なるほど。それはあまりにもひどい話ですね。小池さんのつらさを思うと言葉になりません」  私の話を聞き終わった久能先生がふうっとひとつ重い息を吐いた。  しろねこさんはそんな彼の隣で静かに目をつむっている。たこやきの器はすっかり空になっている。 「アルハラだけでも許しがたいですが……今回は罪が深すぎます」 「罪、ですか?」 「ええ。アルコールハラスメントだけでなく、仕事をなくすぞというパワーハラスメント。さらに薬まで盛っている。これは完全に犯罪ですよ」 「犯罪って。警察に捕まるってことですか? でも私、薬なんて飲まされていませんよ?」 「いいえ、間違いありません。男はあなたに水を飲ませています。その後、記憶がなくなっている。いくらアルコールに弱いからと言っても、突然意識を失うようなことにはならないでしょう。飲まされた水の中に薬を入れていたと考えるのが妥当です。しかも今回が初犯ではないところがまた腹ただしいですね」  久能先生は説明し終ると、再び深いため息を吐いた。  隣に座るしろねこさんがゆっくりとまぶたを上げる。「同意」と言いたげに「ウナア」と低い声で鳴く。 「小池さん。申し訳ありませんが、白夜さんのほうを見てもらってもいいですか?」 「こちらのしろねこさんを見ればいいんですか?」 「ええ。今から主人の言葉を伝えますので」  しろねこさんに向けようとしていた視線を久能先生に戻す。冗談を言っているとは思えない、とても真剣な顔だ。  はたして、おかしなことを言っている自覚はあるのだろうか? 飼い猫を主人と呼んでかわいがる猫好きは多い。  だけど、この人の場合はそれ以上だ。さきほどからのやりとりにしても、まるで猫の言葉を理解している風ではないか。  いや、猫の言葉という表現をすることで、私の警戒心を取り除き、話を聞かせようという会話術の一種なのだろうか?  人の悩みを聞く仕事をしているならば考えられなくもない。 「あの……私」  どうしたものか。猫好きだと思うから、悪い人ではないと思う。  だけど、やっぱりちょっとおかしな人なのかもしれない。人に言えないような悩みを打ち明けておいて今さらな気もするが、やはり怖さは残る。これを理由に課長のように揺すられはしないかと。  実際、課長は歓迎会の後も私と関係を持とうとしてくる。言うことを聞かないならば会社に私の恥ずかしい写真をばらまくとも脅された。あまりにもつらくて、どうしようもなくて。会社の帰り道、通りすがったこの公園でひとり泣いてしまったのだけれど――  なかなかしろねこさんのほうに顔を向けられない私を気遣ったのか。久能先生が「そうですよね」と遠慮がちに言った。 「あなたは猫好きだからわかると思うんですが。白夜さんは悩める女子の味方……いえ、あなたの味方ですから」  そう言われて私はハッとした。  私は猫が大好きだ。猫は傷ついた心を癒してくれる大切な存在。小さな頃からずっと飼ってきた。  田舎から都会に引っ越してきて、ひとり暮らしとなってからは飼えなくなってしまった。今も月に一度は猫カフェに通うくらいには猫が好きなのだ。  だけど、どうしてわかったのだろう? そんなことは一言だって口にしていないのに。 「あの……なぜ、猫好きってわかったんですか?」  まじまじと久能先生を見つめる。  すると彼はしろねこさんのしっとりと艶やかな背中を優しく撫でて「だって」と笑った。 「白夜さんがそうおっしゃるんですから」  しろねこさん、もとい白夜さんがまっすぐにこちらを見る。見つめ返すと、白夜さんはふんっと鼻先を空へ向けた。  コホンッと久能先生が小さく咳払いする。 「では、あらためまして。小池幸子、おまえの敵は俺様がボコボコにしてやる。ただし条件が……って。ああ。どうして今回も条件をつけちゃうんですか!」  久能先生が白夜さんを呆れたように見つめた。途端にパンッと破裂音が響いた。白夜さんの長いしっぽがベンチを思いっきり叩いたのだ。 「あの……怒っていらっしゃるみたいなんですけど」 「ええ。この方、怒りん坊なんです」  そう久能先生が答えた途端、パチンッとムチのようにしなったしっぽが彼の足をひっぱたたいた。  相当痛かったのだろう。はたかれたほうの久能先生が「いたっ」と小さな悲鳴を上げた。 「わかりましたよ。はい。条件ですね」  まったく、この人は……とブツブツ不満をこぼす久能先生を、白夜さんがギロリと睨みつけた。  二人のやりとりに自然に笑いが込み上げる。すごく信頼関係ができている、いいパートナーなんだなと胸のあたりがじんわりと温かくなった。 「あの、条件。伺ってもいいですか?」  二人の間に割って入ると、白夜さんがこちらに視線を戻した。それから「いいぞ」とゆっくりとまばたきをする。 「条件と言えるんですかねえ、これ。ええっと。ヒラヒラした、細いひだひだスカートがベスト、だそうです」 「ヒラヒラした細いひだひだ?」 「おそらく、こういうタイプではないかと」  久能先生が懐から取り出したスマホで画像を見せる。白いふわっとした生地の細いプリーツスカートに「なるほど」とうなずいた。 「たしかにひだひだですね。長さは……ロングなんですか?」 「えっと……膝丈だそうです」 「膝丈ですね。色はなんでもいいんですか?」 「色はホワイトもしくはアクアブルーでって……完全に白夜さんの趣味じゃないですか? いつぞやもホワイトとブルーはマストバイって……」  そう続けた久能先生がまた苦悶の表情を浮かべた。今度はしっぽではなく、猫パンチを食らったのだ。しかも爪が出ていたらしい。 「わかりました。明日、明後日は土日で会社もお休みだから。買ってきますね」 「すみませんねえ」 「いえ。きっと買い物も気分転換になると思いますから」  そう言って笑い返す私に、久能先生は「実はもうひとつ」と指先でコリコリと顎を掻いた。 「ツヤツヤ、テカテカのピンヒールも履け……だそうです」  遠慮がちに久能先生は小声で、そうつけ加えた。
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