【インテーク】たこ焼きと白い猫

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【インテーク】たこ焼きと白い猫

 足元に猫がいる。  雪のような真っ白い毛の美しい猫だ。太陽の光を跳ねかえした白い体毛は、光を散らしたようにきらきらと輝いて見える。  猫はほっそりとした長い前足をきっちり揃えて座っていた。なぜなのか。じっと私を見つめている。猫がやってきたのは私がここに座ってしばらく経ってからのことだ。その場から1ミリも動かずに、猫は10分間くらいになるだろうか。ずっと私を見上げていた。  野良猫だろうか? それにしては毛艶がいい。では迷い猫だろうか?  はたまた散歩途中の通りすがりの飼い猫が、泣いている私をかわいそうに思って足をとめたのだろうか。  いや、それはないか。  彼の視線が突き刺さるみたいにとがっている。睨みつけているという表現がこの場合はしっくりくるだろう。それほどまでに彼の目つきはやたらと鋭い。  さらに言えばもう一つ、気がかりなことがある。猫のしっぽの動きだ。体の長さとほぼ同じくらいあるであろう、とても長いしっぽをさきほどから何度も、何度も左右にバタバタと地面にたたきつけている。  それこそ、苛立ったサーカスの団長が地面を鞭で打って、動きの悪い獣たちに命令するみたいに、目の前の猫は土煙が立つほど強い力で忙しくしっぽではたいているのだ。  表情としっぽの動きから想像するに、この猫が相当不機嫌であることは間違いなさそうだった。 「あなた、ここに座りたいの?」  首を傾げてご機嫌をとるように柔らかな声音で猫に尋ねる。なのに猫はうんともすんとも答えない。ただ黙って私を見ている。なんとも無愛想この上ない。  そこで頭を撫でようと手を伸ばす。すかさずパチンと払われた。目にも留まらぬ早業で、猫がパンチを繰り出したのだ。  爪は出ていなかったから傷もできていないし、痛くもない。柔らかな肉球と、ふわっとした毛の感触がかすかに私の手の甲に残る。   「ふふっ。私の負けね。どうぞ」  少しだけ腰を浮かせて、ベンチの真ん中からちょっと横にずれる。猫一匹分は充分に座れるスペースを作って、そこに猫を誘う。  ところが、猫は一向に座っている場所からこちらへ来ようとしない。それどころか、ますます不機嫌そうに鼻袋を広げた。透明度の高い水色の目は完全に座っている。しっぽは地面をたたき続けている。  これでもまだ納得してもらえないらしい。  仕方なく、ベンチのぎりぎり端に座った。今度こそ猫が余裕で寝転がれるくらいのスペースができた。 「これでいかが?」  声をかける。猫はお礼も言わない。  それどころか、つんっと鼻先を上に向けたまま、先ほどまで私が座っていた場所にとんっと軽やかに飛び乗った。乗るや否や前足をきれいに体の中に折りこんで、座り込んだ。香箱座りという猫特有の座り方だ。たしかリラックスしているときにする姿勢。  それならばと思って小さな丸い頭に触れようと手を伸ばす。しかしすかさず振り返った猫にギンッと強く睨みつけられた。 「ああ、やっぱりダメなのね」  あまりにも横柄な態度に、思わずプッと吹きだしてしまう。そのときだ。 「ああ、もうっ。こんなところにいたんですか、白夜さん! 探したんですよ!」  ひとつに束ねた長い黒髪を揺らしながら、ひとりの男性が駆け寄ってきた。黒いスーツに身を包んだ男性は、モデルのようにスレンダーで整った顔立ちをしている。右手に握られた小さなビニール袋が、彼の歩調に合わせて揺れている。あまりにもミスマッチすぎて、彼から目が離せなかった。  こちらに向かって、彼は迷うことなく走ってきた。どうやら探していたのは私の隣にいる猫らしい。男性は猫の目の前までやってくると、ビニール袋を抱えるようにして膝をついた。  彼がじっと猫を見つめる。猫もじっと見つめ返す。まるで恋人同士みたいに黙ったまま見つめ合う彼らの隣で、私は息を潜めた。  数十秒の後、男性が必死で気配を消す私のほうへゆっくりと顔を向けた。面白いことに、彼と一緒になって猫も私を見た。  磨き上げられた黒曜石みたいに輝いている男性の目の隣で、透き通った水晶のような猫の目が強い力を放っている。 「あの……もしかして、ここで泣いていらっしゃいましたか?」  思ってもみない質問が男性の口から飛び出した。ズキンッと胸が大きく弾ける。 「い、いいえ」  顔を見られたくなくて、隠すように急いで髪を撫でつける。男性はふふっと小さく笑みをこぼすと、静かに立ちあがった。猫の隣にゆったりと腰かける。 「ご存知ですか? 人はウソをつくとき、見破られまいとして髪に触れてしまうものなんですよ」  男性は言いながら私を見て、目を細めた。その言葉にハッと我に返る。急いで手を膝へ戻した。  手のひらが急激に汗ばんだ。ピンッと張った糸みたいな、今にも切れてしまいそうな緊張感が全身に走る。  体がカチカチに固まった。定まらない視線をどうにかしようと足元に向ける。黒皮のローヒールのつま先が砂埃で汚れている。  しかし汚れた靴はすぐに見えなくなった。私の視界に船の形をした容器がが差し出されたからだ。 「たこ焼き、食べます?」 かつお節がそわそわと小さく震えている。 「よかったら、おひとつどうぞ」 ふと隣を見ると、あの横柄な猫の前にもたこ焼きの容器が置かれていた。猫がたこ焼きに顔を近づけて、小さなピンクの鼻をひくひくと細かく動かした。 「この猫さん、たこ焼き食べるんですか?」 「ええ。大好物なんです。特に桜町公園の屋台のたい焼きは絶品でして。店主は大阪の人で、ファンも多いんですよ? ちなみに彼のたこ焼きはかつお節を増量してもらっています」 たしかに自分に差し出されたものと比べると、かつお節の量が多い。たこ焼きの姿がまったく見えないくらいかけられている。 「じゃあ、お言葉に甘えて」  震える指先で爪楊枝を摘んで、たこ焼きをひとつ取る。ふうふうと息をかけてから口の中入れる。  それでも中は熱くて、はふはふと熱気を外に出しながらかみ砕いた。  食べながら、隣の猫を見る。熱いものはやはり苦手らしく、まずはかつお節だけ口に入れている。  ふてぶてしい先ほどまでの態度とは違うなんとも猫らしい姿に自然と頬が緩んだ。 「すみません。申し遅れました。実は私はこういうものでして」  膝の上にたこやきの器を乗せた男性が、スーツの内ポケットから一枚の白いカードを取り出した。  男性の手から恐る恐るカードを受け取る。黒インクで印刷された文字を口に出して読みあげる。 「しろねこ心療所、久能孝明。お医者さん、なんですか?」 「いいえ、医者ではありません。相談員です」 「相談員?」 「お話を聞くのがぼくの仕事でして」  猫を挟んだ向こう側に座る男性に再び視線を移す。彼は陽だまりのような穏やかな笑みを湛えている。 「よかったら話を聞かせていただけませんか? もしかしたら、お役に立てるかもしれません」  笑みをたたえた男性を見つめ返すことしかできない私の隣で、たこ焼きを食べるのを一度やめにした白い猫が「そうだ、そうだ」と言わんばかりに「ウナア」と鳴いた。
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