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【モニタリング】よこせ、愚民
「こんな山奥まで届けに来てもらって、本当に申し訳ありませんねえ」
「いいえ、とんでもないです。今の私があるのはお二人のおかげなんですから」
飲み会で薬を盛られてお持ち帰りされた事件から一カ月後、私は『しろねこ心療所』に来ていた。電車で二時間、山道を登ること40分。
そんな僻地へ来たのはお礼の品を届けるためだ。
「白夜さんはここのたこ焼きに目がないですからねえ」
久能先生が私の手渡したビニール袋の中を覗きこみながら、ふふふっと口元をゆるめた。
縁側で日光浴をしながら、のんびりくつろいでいたはずの白夜様がいつの間にやら私たちの足元にやってきていた。小さなピンクの鼻をひくひくとさせてから、ぽんぽんっと久能先生のすねを叩く。
「はいはい。白夜さんはこれに目がありませんからね。では縁側で一緒にいただきましょうか。すぐに愛華さんが紅茶を持ってきてくれますから」
「ああ、さっきのかわいらしい女子高校生ですね?」
ここに来て最初に出会った少女のことだ。ふわふわの髪に、大きな二重が印象的なかわいらしい子だった。
彼女は今、診療所のキッチンでお茶の支度をしてくれているらしい。
「ええ。本当によく働いてくれて、とても助かっているんです」
久能先生と並んで縁側に座る。そこに白夜様もやってくると、早くしろと急かすように「ウナア」と鳴いた。
久能先生は「はいはい」と目を細めながら、ビニール袋の中のたこ焼きの器を取り出した。かつおぶしがたっぷりかかったほうを白夜様の前に置く。
「これはまた、いつもよりもかつお節がずいぶんと多いですね」
「あの……それは彼の気持ちだそうです」
「彼?」
久能先生と白夜様が私をじっと見つめる。二人揃ってまんまるな目をして見つめてくるものだから、思わずプッと吹きだしてしまった。
こんなところまで揃ってしまうところを見ると、本当に彼らは心が通じ合っていると感じずにはいられない。
「実はあの事件の後からよくたこ焼きを買うようになって。仲良くなったんです、屋台の店主の彼と。つき合うことになったのは昨日からなんですけど」
「まあ、なんと!」
ちらりと久能先生が白夜様を見る。まんまるだった目がとがった三角形に変化する。どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。
「彼にこれまでのいきさつを包み隠さずきちんと話したんです。そうしたら彼、聞きながら『つらかったねえ』って大泣きして。すごく優しい人で、いつの間にか好きになってて。今日、お二人に会いに行くことを話したら、彼がぜひ持って行ってくれって。本当は一緒に来たかったみたいですけど、日曜は稼ぎ時だから仕方なく」
「だそうですよ、白夜さん?」
たこ焼きの器の蓋を待ちきれない様子でカリカリと白夜様が掻く。こちらの話は聞きたくない。さっさと開けろと言っているみたいだ。
「まったく、そんなにふて腐れなくてもいいでしょうに」
そんな白夜様をなだめるようにクスクスと笑いながら久能先生が蓋を開ける。すっかり冷めてしまっているたこ焼きを気にすることなく白夜様は口をつけた。まずはたっぷりかかったかつお節を堪能する。
「それにしても会社まで辞めることはなかったんではないですか? あなたを苦しめた上司は会社から解雇されたわけですし」
「そうかもしれません。でも、固執するほど思い入れもないですから」
課長はあのあと、他の部署から駆けつけた人たちによって緊急搬送された。悪事は明るみに出ることになったが、社外に不祥事がもれるのを恐れた会社側によって、課長は解雇されることになった。
私にも口外しないようにと口止め料が出されたくらいだ。この会社は根本から腐っている――それに気づいた私は会社を辞めた。もちろん、お金はしっかり貰ったけれど。
「私、彼の屋台を手伝うつもりなんです。当面、生活費に困ることもないですし。二人で日本一のたこ焼き屋にしようって、新しい目標もできましたしね」
「そうですか。がんばってください! 私たちもまた買いに行きますね」
「はい!」
はっきりと力強く返事をしたとき「お待たせいたしました」と私を案内してくれた女子高生が紅茶の入ったカップをシルバートレーに乗せてやってきた。
彼女が縁側にトレーを置く。
「ああ! これ、桜町公園のたこ焼きだ! 店主さんもすごいイケメンで、話題なんですよね! いつもすごい行列だから買えないって、友だちが泣いてました」
白夜様の隣に腰を下ろす愛華ちゃんが、脇に置かれたたこ焼きの入っていたビニール袋のロゴを見て告げた。
「彼女の彼氏さんらしいですよ、店主さん」
「ええっ! すごい!」
彼女が大きな目をキラキラさせて私を見つめる隣で、白夜様が面白くなさそうな顔を一瞬こちらに向けた。
気恥ずかしくて私は急いでたこ焼きの器を手にすると「愛華ちゃんもおひとつどうぞ」と手渡した。
「はい! いただきます」
彼女はたこ焼きの器を受け取ると、膝の上に乗せた。それを狙うように白夜様が小さな顔を近づける。
彼女は「だぁめ!」と白夜様とたこ焼きの間に腕を差し入れた。ぷうっと白夜様のかわいらしい鼻袋が広がる。
「私のをどうぞ、白夜様」
自分の分をそっと差し出す。白夜様は「いらない」というようにたこ焼きには目もくれず、長い手をぺろぺろと舐めはじめた。
「本当に素直じゃないんですから」
やれやれと肩をすくめて久能先生が苦笑した。置かれたカップを手に取って「それでは」と声を掛ける。
たこ焼きを膝の上に乗せた愛華ちゃんも急いでカップを手に取る。私も同じようにカップを手にした。
「小池さんと彼氏さんのしあわせな前途を願って、乾杯」
「乾杯!」
小さくカップを掲げてから口をつける。甘酸っぱいブルーベリーの味が口の中に広がっていく。
「だからダメだってば!」
愛華ちゃんが必死に白夜様からたこ焼きを死守する声が響く。
白夜様がエジプト座りの姿勢で「ウナア」と不満げにひと鳴きした。
――よこせ、愚民!
そう言いたげに――
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