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ビアンカとゲンカク師匠③
ミハイルは静かな口調で、自身の愛娘――ビアンカが、何故に棍術を習うこととなった経緯を語る。そのことを口にするミハイルの表情は――、呆れの様子をハルに窺わせた。
「“豊穣祈願大祭”で、様々な国の者たちが集まり、催しを行うのだが。ある年に――、棍を扱った演舞を行う集団が来てな」
演舞とは――、読んで字の如く、舞を踊り人々に見せる催しであった。
ミハイルの話では、その演舞を催す集団は棍を用いて、武術に近い演舞を披露していたようであるとハルは察する。
「その演舞集団の棍捌きを目にしたビアンカは――、それに酷く感銘を受けたようで。自分も棍術を習いたいとせがまれてしまってな……」
「ええ。それじゃあ、興味半分で始めた感じなんですか……?!」
ハルはミハイルの言葉を聞き、驚いたように声を上げる。そのハルの驚きに、ミハイルは頷き苦笑いを見せた。
「まあ――、思いの外、真剣に取り組んでくれているから良いのだが……」
言いながらミハイルは顔を動かし――、棍術の使い手として名を馳せたゲンカクの鍛錬を、至極熱心に受けるビアンカへと目を向けた。
ミハイルの視線に釣られるよう、ハルもビアンカとゲンカクの方を見やる。
ビアンカとゲンカクは、先ほどと同じように鍛錬を再開しており、ビアンカはミハイルが口にしたように、真剣に棍の稽古を受けていることが良く分かった。
(まさか興味半分で習い始めたとは思わなかったな。動きはまだ拙いけど――、ビアンカは棍術に対しての資質があるのかもな……)
ハルとしては、ミハイルからの言いつけなどで、ビアンカが棍術を習うに至ったのだと思っていた節があった。
それほどハルの目にしているビアンカは、棍術の鍛錬に対して本当に真剣に打ち込んでいる様を窺わせている。なので、まさかビアンカが興味だけで棍術を習い始めたとは微塵も思わせないほどのものであったのだった。
(もっと鍛錬を積んだら。あの人と同じように、達人並みの腕前になるんだろうな……)
そう思いながらハルはビアンカの様子を、赤茶色の瞳を細めて見つめていた。自身の想い出の中にある、とある人物とビアンカを重ねながら――。
「“豊穣祈願大祭”の時のビアンカ様。目を輝かせて真剣に演舞を見ていらして、とても可愛らしかったですよ」
暫しの間を置き、ミハイルとハルの話に割って入るようにヨシュアが笑みを浮かべ、当時の様子を口にする。
ヨシュアもその年の“豊穣祈願大祭”で行われた棍の演舞を、ミハイルの供として付いて回り目にしていたため、その時のビアンカの様子を良く知っていた。
ヨシュアの言葉に、その際にミハイルの供として一緒にいたレオンも頷き、同意を示す。
「あのご反応。ビアンカ様が本気で感銘を受けたご様子を、私も感じました」
ミハイルは、ヨシュアとレオンの言葉を聞き、更に苦笑いを浮かべる。
「まあ、私も――。ビアンカが酷く感銘を受けたみたいなので、つい許してしまったのだがな……」
ミハイルの零した言葉は、まるで「親馬鹿だろう?」――と。そのように自身を嘲笑する声音を含んでいた。
そのミハイルの言葉の意味合いを察したハルは内心で、ビアンカを心底溺愛しているミハイルの様を垣間見て微笑ましく思う。
「自分も昔に――、棍を武器に使って戦う人を見たことがあります」
ハルは、ビアンカに目を向けたまま、ぽつりと呟いた。ハルの言葉を聞き、ミハイルは「ほう……?」と、静かに声を上げる。
「珍しいな。棍は演舞の小道具として使う集団が少しはいるが――。ゲンカク老師のような武術として扱う者は、今は殆ど存在しないと言われているものなのだぞ」
ミハイルの物珍しそうな雰囲気を醸し出す口振りに、ハルは頷く。
ミハイルの発した言葉の通りに、棍術は演舞という見世物として扱われることが殆どであった。
それ故に、ゲンカクのように純粋に武術として棍術を扱う者は、非常に稀となっている。ゲンカクが以前に『後継者がいない』と嘆いていたことを、ハルも知っていた。
それほどまでに棍術というものは、今は珍しいと言われてしまうものだった。
「その人は――、今の俺と同じくらいの年齢の女性でした。とても強くて、自分の手足のように棍を取り回していて……」
ハルにとって命の恩人である棍使いの女性――。
かつてハル自身が目の当たりにした女性の棍捌きは、本当に見事なものだったと。そのことをハルは、今も鮮明に覚えていた。
ハルの語った話を聞き、ミハイルは可笑しそうに笑いを漏らす。
不意にミハイルが笑い出したことに驚き、ハルはミハイルに目を向け、不思議そうに首を傾げた。
「いや、急に笑い出してすまない。――ハル君の見たという棍使いの女性も、ビアンカと同じように“鉄砲玉娘”だったのだろうかと思ったら……、可笑しくなってしまってな」
ミハイルは申し訳なさそうにしつつも、肩を震わせ、くつくつと笑っていた。
そんなミハイルの言葉と様子を見聞きし、ハルも思わず笑みを浮かべる。
「あはは。考えてみれば、そうですね。そうそう女性が習得しようと思う武術ではないですしね」
ミハイルの言いたいことを推したハルも、その女性のことを思い笑ってしまう。
「きっと、ビアンカも――、俺の知っている女性と同じように棍術は達人並みになりますよ。何度か鍛錬の様子を見ていますけれど、とても才能があると思います」
ハルは笑みを浮かべ、ビアンカとゲンカクの棍術鍛錬の場に再び視線をやり、素直な感想を口にする。
ビアンカの棍術は上達していき、後に誰も敵わないほどの棍術の使い手となるだろう――。何故だかは分からないが、ハルはそう確信していた。
ハルの感想を聞き、ミハイルは「ふむ……」と短く。だが満足げに、目を細める仕草を見せる。
ミハイルとハルの会話が途切れた瞬間。そのほんの僅かな時だった――。
カンッ――と、棍が弾かれる高い音が、ウェーバー邸の中庭に響く。それと同時に、ビアンカが「あっ!!」と慌てた様相の声を上げていた。
ビアンカの声の上がった方へ、ハルとミハイルたちが一同に目を向ける。
すると、ゲンカクの棍の一撃を食らい払い除けられたビアンカの棍が、再度ビアンカの手を離れ――。あたかも狙いすましたかのように、ハルとミハイルたちの佇む方向へ勢い良く飛んできていた。
それを見止めたハルは慌てて身を引き、ミハイルと彼の後ろに控えていたレオンは静かに身体を逸らす。そして飛躍してきた棍は、一瞬反応の遅れたヨシュアを目掛けて飛んでいき――、鈍い音を立ててヨシュアの額に見事に命中した。
「あだっ――!!」
額に棍が命中したヨシュアは間の抜けた声を上げたかと思うと――、そのまま仰向けに地面に倒れ込む。
「あーあ……」
ヨシュアのその有様を目にして、ハルは同情を含ませた小さな溜息を吐き出した。
「――ヨシュア……。まだまだ鍛錬が足らんな……」
地面に倒れ、目を回しているヨシュアに、ミハイルは冷ややかな一瞥を送り呟く。
レオンもどこか呆れたような眼差しをヨシュアに向けていた。
「あああ、ヨシュアッ! ごめんなさい……っ!!」
慌てて駆け寄って来たビアンカは、「やっちゃった」――と言わんばかりの焦燥の面持ちをし、右往左往とする。
だが、ミハイルは「気にする必要はない」と、優しくビアンカを諭していた。
(――こりゃ、ビアンカが達人並みになるのは……。もう少し先になりそうだな……)
永らくの間、自身にとって無縁であった平穏な空気をハルは感じながら――、苦笑混じりの笑みを浮かべて思うのだった。
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