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兄騎士と妹姫①
――『英雄殿は、些か働き過ぎだ』
オヴェリア群島連邦共和国の大統領から告げられた一言。
藪から棒な言の葉に、“オヴェリアの英雄”と称されて国民たちに敬愛されている青年――、ヒロは紺碧色の瞳を瞬かせた。
何を言っているのだと。そう言い返そうとしたが、異議申し立てを発する前に大統領の言葉に賛同を示す他の重鎮たちの声に阻まれ、ヒロが物申すことができない雰囲気に陥る。
多勢に無勢とは正にこのことだろうとヒロは悟り、深い溜息をついていた。
国の有力者たちに言われるまま、準備されるまま。特別休暇とやらを言い渡され、『世界を見て周って、情勢を知ることも国を守る者の務め』と。さも当然のような体のいい事訳を押し付けられ、追い立てられて愛する故郷を離れる羽目になった。
最低一年間は休暇として国のことを考えないように、などと言われはしたものの。そもそも考えるなというのが無理な話だ。
「――僕って、そんなに働きすぎていたかなあ……」
つい思っていたことが口端に出る。それと同時に嘆声が漏れ出し、いつぞや言われた『溜息をつくと幸せが逃げる』という台詞を回顧してしまい、何年経とうとも様々なことで気苦労の絶えない自身を嘲笑してしまう。
「兄ちゃんは働くのが好きなのか?」
漏れ出した言葉を聞きつけた荷馬車を操る青年が、意外そうな顔付きで荷車に乗るヒロへ声を掛けてくる。その問いにヒロは口元に手を押し当て、喉の奥を鳴らすと返答に悩む様を見せ、口を開いた。
「働くのが好きというか、何ていうのかなあ。これは自分のやるべきことって思っていたものを取り上げられると、落ち着かないんだよ。普段やっていることを急に止めろとか言われてもねえ」
オヴェリア群島連邦共和国の有力者たちが発したのと似たようなことを、“群島諸国大戦”の折にも軍師であるミコトに言われ、自分の役割を取り上げられたことがある。
その際はミコトから『上の立場に就くものが休まないと、その下に働くものが休めない』と言われ、不承不承にその言を受け入れた。
それを言われて、自分はそんなに働きすぎかと本気で頭を悩ませたものだ。
「働き過ぎだから、偶には骨休めをしろっていうんで追い出されてきたんだけど。今頃、僕のやっていた仕事がどうなっているのかとか。心配で仕方ないよ……」
動いていると余計なことを考えずに済むのも事実で、言われてみれば働きすぎていたかもと今更ながらに思うところもあった。
しかしながら――、兎にも角にも落ち着かずに気が揉んでしまう。これでは気が休まるどころか、精神的に良くないとも考える。
そうしたヒロの返弁に、問いを投げた青年は呆れ果てた表情を浮かしていた。
「珍しいな。普通は誰もがどうやれば楽に飯を食っていけるかとか、楽をすることばっかり考えるってのに。兄ちゃんはマグロみたいなもんだな」
「あー。その例えって、ある意味で当たっているかも。僕はさ、動いていないと駄目な質なんだよねえ」
当たらずと雖も遠からず。自分は泳ぐことを止めてしまったら死んでしまう回遊魚に似ていると、言われて気付いた事柄にヒロは笑ってしまう。
普段の行いを止められると気が気ではない。反対に休む気持ちにもなれず――。結局は動き回れば余計なことを考えなくて済むだろうという理由で、『世界を見て周る』という選択肢を取った。
そんなヒロが訪れたのは、同盟軍時代に同じ“呪い持ち”として彼の心の拠り所となっていた少年――、ハルの出身地があるという東の大陸だった。
時折とハルの口から故郷である東の大陸の話を聞いており、故郷の地を出たことの無いヒロの好奇心を擽っていた。
旅をしなければならないのなら、どこよりも先に足を運んでみよう。そう思い至り、ヒロはオヴェリア群島連邦共和国から本島である中央大陸に渡り、そのまま東の大陸へ渡る船に乗り込んでいたのだ。
東の大陸で唯一の港町が存在する“フリーデン都市国家”と呼ばれる地に足を踏み入れ、その港町で行商人の青年相手に護衛役を買って出ることで、ヒロは荷馬車という移動の足を確保していた。
荷馬車は、フリーデン都市国家と三か国同盟協定を結んでいる“リベリア公国”と“カーナ騎士皇国”という国の境に存在する町へ赴くらしい。
国境近くまで行けるのであれば、そこを拠点にして東の大陸の主要国を回ろうという魂胆だった。
「――それにしても、本島って寒いんだね。風邪引きそうだ」
羽織っているマントで身を包むように丸くなり、ヒロは不服を口にする。
大陸間を渡る船に乗っている時から思っていた、ヒロが『本島』と呼ぶ中央大陸や東の大陸の肌寒さ。オヴェリア群島連邦共和国は温暖な気候で冬の季節でも寒くならないため、暖かさに慣れた身体は低温さを特に実感させた。
さようなヒロの言動に、青年は大仰に笑った。
「兄ちゃん、こんなんで寒いって言うなよ。今の時期は夏に入りかけたのもあって、暑くなってきた方なんだぜ」
「これで暑いの? 冬の季節になったら、凍え死んじゃうかも……」
「あはは。群島の人間は寒さに弱いっていうけど、兄ちゃんは大概だな」
笑壷に入ったらしくケラケラと声を立てる青年を見やり、ヒロは眉を顰めて「本島が冬になる前に自分の家に帰って、お偉い方にバレないように引き籠ろう」と心に決めるのだった。
◇◇◇
山賊や追い剥ぎに出くわすことも無く、簡単に去なせる魔物に出くわす程度で荷馬車は三か国の国境沿いにある町に辿り着いた。
荷馬車から降りて青年に礼と別れを告げてから、ヒロは町中の散策を始める。
その町は自然が多く、長閑な雰囲気を有しているが、春先になると『花祭り』という祝い事が行われて賑やかさを呈するのだと行商人の青年は語った。
しかしながら今は夏の始まりの時期で、祭日が過ぎ去った町中は人々が日常生活を織り成す様子だけが見受けられる。
町の出入り口近くで見た家々が軒を連ねる風合いは、生垣や石垣珊瑚で遮られて家と家の間隔が離れている故郷とは全く違う。こんなに家同士の距離が近くては窓越しに隣の家の様子が丸見えではないのか、などと面白半分に考慮してしまう。
生まれてこの方オヴェリア群島連邦共和国を出たことが無いヒロには、他大陸の町造りが珍しいものに映った。
中央大陸でも港町に立ち寄りはしたが、早々に東の大陸へ移動してしまおうと考えていたために、そこでは町の見学すらせずに移動していた。
もう少し余裕を持って、中央大陸の町並みを見て回っても面白かったかも。そんな風に思う。
歩みを進めながら、紺碧色の瞳を忙しなく左右に動かす。その度に感嘆の息が漏れた。
家の作りは木で組まれたものが多い。雨避け程度の僅かに張り出した庇があって、三和土は作らずに道に面している。
更に足を運んでいくと、今度は赤茶色の煉瓦で組まれた家、重厚さを感じさせる石垣。庭は広く取られており、門扉が建てられている。目にしている建物は家屋というよりも屋敷といった趣をヒロに感知させた。
「この辺りは普通の家の面構えと違うけど、貴族とかの別荘かな?」
恐らくは高級住宅街のような区画に足を踏み入れたのだろう。
長閑で程よく賑わいを擁する町なため、貴族たちの保養地になっていても不思議ではないとヒロは推察する。
一際大きな屋敷を取り囲む塀の脇を、彼方此方に目を向けながら歩む。
俗に言う『お上りさん』状態になっていることに気付きヒロは嘲笑を漏らすが、それでも目にするものが新鮮で楽しいと感じた。
「うん。案外、旅をするのも悪くないのかもなあ。寒いのはイヤだけど」
紺碧色の瞳を好奇心から輝かせ、ヒロの口を独り言が零れ落ちる。
その時だった――。
ドサッと鈍い音を立て、ヒロの目の前に突然何かが落ちてきた。
「うわっ! な、なにっ?!」
吃驚からヒロは咄嗟に足を止める。
瞳を丸くして目の前に落ちてきたものを確認すれば、それは小ぶりな鞄だった。
「え? 鞄? ――上から落ちてきたの?」
自身の脇には高い塀が聳えている。その上から鞄が落ちてきたのか。だが、何故にそのような場所から落ちてくるのだと。
不思議に思ったヒロが塀の上に目を向けると――、ふと、ヒロの上に影が落ちた。
「うえ――っ?!」
紺碧色の瞳を上げた瞬間に見えたのは、塀の上から張り出した枝に茂る緑。かと思えば次に映ったのは、自身に向かって落ちてくる物体だった。
あまりにも突然過ぎ、反応が追い付かなかった。焦燥の声が口をついたと同時に鈍い音が耳に聞こえ、衝撃を受けてヒロは後ろに転倒してしまう。
「――痛いなあっ! なんなんだよっ!!」
受け身も取れずに強か腰と背中を打ってしまい、痛みから憤慨の声が上がる。
落ちてきたものの正体を見ようと、それに瞳を鋭く差し向けた。だが、極僅かな時間の内に慨嘆を宿した瞳は、呆気に取られてまじろいだ。
「え? え? 君、だれ……?」
ヒロの胸の上に飛び込むように、幼い少女がいた。
長い亜麻色の髪に翡翠色の瞳。歳の頃は五、六歳ほどか。驚きに瞳を丸く見開いてヒロを見つめているが、どこか我の強そうな印象をヒロに与える。
(わっ、可愛い子だな。群島の方じゃ見掛けない毛色だ……)
ヒロに幼女趣味は無いものの、それでも可愛いと手放しで褒めてしまう。将来はさぞ美人になるであろうと思わせる風姿を、少女は有していたのだ。
「えっと。君、大丈夫? 怪我とか無い?」
未だに自身の上から退かない少女の心配をしつつ、ヒロが声を掛ける。その問いに少女は小さく首を傾げた。
「――お兄ちゃん。私の下で、なにをしているの?」
開口一番に少女が怪訝そうに発した言葉。それを聞き、ヒロは頬を引き攣らせた。
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