六花の舞う日に①

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六花の舞う日に①

 ヒヤリとした身を刺すような寒さに目を覚ます――。  羽毛の掛布と毛布にくるまれた身体は温かい。だが、掛布から出ている頭や耳、鼻先が――、その刺すような寒さでツンッと微かに痛む。  ハルは未だに覚醒しきっていない頭で、さようなことを考えながら、ぼんやりと微睡(まどろ)んでいた。 「うう……、さみい……」  ウェーバー邸でハルに()てがわれた部屋には、暖房設備が無かった。そのため、冬の季節が中ほどまで入った今の時期。ハルの自室はひんやりと底冷えをする。  風邪を引かないようにと、ウェーバー邸に仕えている者たちに温かい良質な羽毛の掛布を調達してもらい使用していたが――、それでも今日の寒さは格別だとハルは思う。 「うわっ。さみいと思ったら……」  夜も明け、白んだ明かりを差し込ませる窓へ掛布に潜り込んだまま目を向け、ハルは独り言ちる。  ハルの視線の先にある窓。その窓枠の外側には――、真っ白な雪の塊が微かに積もっていたのだった。  そろそろ起きないといけない時間だ――、と。ハルは観念してベッドから這い出す。  自室内の底冷えする寒さが、掛布の中で温まっていた身体の体温を一気に奪い取るような感覚に襲われ、ハルは身を震わせる。 (――この辺りで雪が降るって、珍しいな……)  寒さに身を震わせながら、ハルは手早く着替えを済ませ――、室内着用の厚手のガウンを羽織った。  そうして、室内で白い息を吐き出しながら雪が薄っすらと積もった様を見せる窓へ近づき――、外の様子を見やる。 「夜の内に……、結構降ったんだな……」  窓から見えるリベリア公国は――、一夜にして一面の銀世界へと様変わりしていた。  今はもう雪は止んでいるが、辺り一面が白で覆われ、秋になってから葉の落ちた樹木には、まるで白い花が咲いたかのように雪が纏わりついている。 (今年の冬は寒い寒いって、みんな言っていたけど――。雪まで降るとはなあ……)  リベリア公国の存在する東の大陸。そこは冬でも比較的温暖に近い気候の土地でもあった。  だが数年に一度、あるかないかという割合で強い寒気が流れ込むことがあり、極々稀に雪が降ることもある。そして――、今年の冬は、その寒気の流れ込む年だったのだろう。  雪に覆い隠されている外の情景を目にし、ハルは余計に寒々しさを身に感じた。  窓越しに外の景色を眺めていたハルは、眼下に広がるウェーバー邸の中庭に視線を落とし、眉を(ひそ)める。 「うわ……、マジかよ。あいつ……」  雪が積もり、緑の芝生が覆い隠されたウェーバー邸の中庭――。  そこで、しっかりと防寒着を着込んだビアンカが楽しげにして、新雪に足跡を付けてはしゃいでいたのだ。時には深く積もった雪に倒れ込み自身の身体の跡を付け、真っ白な息を吐き出して一人で遊んでいる様は――、彼女の“護衛兼お目付け役兼友達”という役割に抜擢されている、所謂(いわゆる)“お守り役”のハルを呆れさせる。 「あーあー……、寒いのに元気だな。全く……」  そんなビアンカの様子を目にし、ハルは嘆息(たんそく)を漏らす。  溜息を吐き出し、ハルはビアンカに声を掛けるために窓を開ける。冷え切った外気が部屋に流れ込み、室内がより一層冷え込んでいき、ハルは一瞬、窓を開けたことを後悔した。だが、窓を開けてしまった手前で仕方ない――と、眼下の中庭ではしゃぐビアンカに目を向けた。 「おい、ビアンカッ! そんなことやって遊んでいると風邪引くぞっ!!」  不意打ちに頭上から大きな声でハルに叱責されたビアンカは、肩を震わせ驚きの反応を示す。そして一驚から丸くした翡翠色の瞳で――、頭上から掛かった声の主、ハルを見上げた。 「ハルッ! おはよーっ!!」  声の主がハルだと見止めたビアンカは、驚いた表情を屈託のない可愛らしいとさえ感じる笑顔に変え、真っ白な息を吐き出し、悪びれなど微塵も出さずに朝の挨拶をハルに投げ掛ける。 「おはよー、じゃねえだろ……。俺は風邪引くぞって言ってんのっ!」 「大丈夫よ。マリアージュにお願いして、ちゃんと(あった)かい格好してるもん」  ハルの心配など何処吹く風といった(てい)で、ビアンカは自身の着ている防寒着を見せつけるように、腕を大きく広げて主張する。  いつ頃からビアンカが外で一人遊んでいたのかはハルには分からないが――。ビアンカの寒さで赤くなった頬や鼻先を見る限り、自分が起き出すよりも随分前から外で遊んでいたのであろうことは()し量った。  ――ミハイル将軍から俺に与えられた役割って、何だったっけか……。  ハルは内心で、頭痛に見舞われそうになりながら考える。  実の父親――ミハイルにさえ“鉄砲玉娘”と称され、突拍子もない行動を起こすことが多いビアンカは、未だにハルも考え及ばないようなことを行うことが多い。  ハルはビアンカの“お守り役”を仰せつかっている以上、彼女のことを何事もないように見守っていなければならないのだが――。時折ビアンカは、こうしてハルの存在など忘れたかのように一人で遊んでいることがあるのも事実だった。  そのことは――、少なからず、まだビアンカが()()()()()()()と上手く接することに慣れていないことを物語っており、今まで友達と呼べる存在がいなかった彼女の孤独さと不器用さをハルに推察させていた。  そんなことをハルが考えていた時だった――。  パシャンッ――と、壁に何か水気を帯びた物が叩きつけられる音と共に、窓から顔を覗かせていたハルに水飛沫が掛かる。 「うわっ!! つめてえっ!!」  全くもって予想打にしていなかった顔に触れた冷たさ。それに驚き、ハルは身を逸らす。 「あー……、惜しい……」  ハルが改めて窓から顔を突き出すと――、残念そうな声音で、何か物を投げた姿勢のままビアンカが言葉を零していた。 「お・ま・え・な・あ……っ!!」  ビアンカの言葉と姿勢。それを目にしたハルは、何が起こったかを察した。ビアンカはハルの部屋の窓を目掛け、雪の塊を投げつけてきたのだ。  だが、幼い少女の腕前では二階にあるハルの部屋の窓までは、雪玉は届かなかった。届かなかった代わりに――、ハルが顔を覗かせていた窓の下にある壁面に雪玉は命中し、その雪玉が崩れた水飛沫がハルの顔に降り掛かったのであった。 「ちょっとそこで大人しくして待ってろっ!!」  やや憤慨気味にハルは声を張り上げ、部屋へと身を引く。そしてクローゼットから一番厚手な冬用の外套(がいとう)を取り出すと、部屋着用のガウンを乱雑に脱ぎ捨てて外套(がいとう)に袖を通す。  そのままハルは部屋を飛び出したかと思うと、駆け足でビアンカのいる中庭へ向かうために階段を降りて行く。 「やった。ハルに遊んでもらえる」  ウェーバー邸の中庭では、ハルが窓から身を引いていったのを目にしていたビアンカが、どこか嬉しそうにして呟いていた。  ビアンカはハルと“友達”という間柄になったものの――、今まで友達と呼べる者が存在しなかったために、素直に『一緒に遊ぼう』の一言が言えなかったのだった。だので、あの雪玉を投げるという行為が、彼女なりの精一杯のハルと遊びたいという合図でもあったのだが――。  あまりにも不器用すぎるビアンカの表現方法は――、ハルに伝わっているのかいないのか。幼いビアンカには、それを(りょう)するだけの聡明さは、まだ無かったようであった。
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