3098人が本棚に入れています
本棚に追加
/249ページ
都内の本社勤務になり、このマンションに住み始めて3年が経った。
3年もすれば仕事にも東京生活にも慣れてくる。
でも慣れるのと同時に繰り返される毎日は単調になり始めていた。
今日は週末の金曜日だった。
仕事帰りに久しぶりに都内に暮らす大学時代からの女友達と食事に行った。
美味しい料理とお酒と共に仕事の愚痴やら恋愛相談を3時間も喋ってしまった。
楽しかった時間の余韻を引きずったままの私は、鼻歌を歌いながら最寄駅からマンションまでの道を歩いた。
深夜で人の気配のないエントランスを抜けてエレベーターに乗り、自分の部屋がある5階のボタンを押す。
5階に到着したエレベーターを降りた瞬間、酔いも吹っ飛ぶほどの異様な光景に思わず身構えた。
――人が、倒れているのだ。
スーツ姿の男性がどこかの部屋のドアに背中を預け、廊下に力なくうなだれていた。
今日は週末の金曜日だ。誰もが浮かれる日でもある。
この男も『金曜日だから』と羽目を外して、つい飲み過ぎてしまったのかもしれない。
そういう失敗は大人になってもよくある事だ。……よくある事だけど、せめて自力で家には辿り着こうよ、お兄さん。
私は憐れみの目で廊下に座り込んだ彼の姿を遠巻きに眺めた。
エレベーターの前でバッグから部屋の鍵を取り出し、できるだけヒールの音を響かせないように廊下を歩く。
しかし私の足は、たった数歩で止まる事になった。
男性が背中を預けていたドアは……私の部屋のドアだったのだ。
嘘でしょ?冗談だよね?私の部屋の前に人が倒れているとかドッキリだよね?
私は慌ててドアの部屋番号を確認する。
間違いない――彼が身体を預けているドアは502号室のもので、そこは私の部屋だった。
この男はたぶん同じ5階の住人だろう。
泥酔状態のせいで部屋を間違えたのだろう。
もしくは自分の部屋に辿り着く前に力尽きてしまい、ここで休んでいるのかもしれない。
……どっちにしたってとばっちりだ。
私にとっては迷惑である事に変わりなかった。
「……もしもーし。お兄さん、大丈夫ですか?」
男性の近くにしゃがみ、私は男性の肩を揺すった。
彼は相当お酒を飲んでいるらしく、死んでるんじゃないかと勘違いしそうなくらい顔色が悪い。苦しそうに眉をひそめ、時折唇から呻くような声を漏らしていた。
廊下を冷たい冬の風が吹き抜ける。
季節は2月、時刻は深夜0時過ぎ。
恐る恐る男性の手に触れると、氷のように冷たくなっていた。
この人、いつからここにいたんだろう。
数分でここまで身体が冷えるとは考えられない。
30分、1時間……いや、もっと長い時間をここで過ごしていたのかもしれない。
ドアの前からこの人を押しのけ、このまま廊下に放置する事は簡単だ。でもそんな事をしたら、間違いなく大変な事になってしまうだろう。
このまま無視すれば、この人が凍死するかもしれない。
そんな考えが頭をよぎってしまい、私は見ず知らずのこの酔っぱらいを極寒の廊下に放っておく事ができなくなった。
最初のコメントを投稿しよう!