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順番に一課を離れる営業の挨拶が終わり、最後は遠野課長だった。
「課長、顔が赤いですよ?飲み過ぎじゃないですか?」
「お前らが普段の仕返しかなんだか知らないけど飲ませてくるからだろ」
「いやいやいや!今までのお礼ですよ、ね、皆さんそうですよね?」
幹事が近くにいた営業数人に同意を求めると、彼らはニヤニヤと笑うばかりだった。私のいるテーブルでもクスクスと笑い声が聞こえる。
幹事が『暴言は吐かないでくださいね』と言うと、遠野課長は『うっせーよ』と笑っていた。
「じゃあ気を取り直していきましょう。最後は4年間うちの課をまとめ上げてくれた遠野課長です。えっと……一課には何年いたんでしたっけ?」
「10年ってさっき言っただろ」
「失礼しました、10年だそうです。じゃあ一言短めでご挨拶をお願いします。お説教はいりませんので」
そう言って幹事が下がると遠野課長は苦笑いを零していた。そして一歩前に出て小さく咳払いをする。
「遠野です。営業一課に配属されて10年、課長になって4年、たくさんの人と仕事をしてきました。たくさんの人を出迎えて、たくさんの人をこうやって送別会で見送ってきました。ついに自分の番が来たんだなと思っています。
異動が決まった時『困ります』という声を聞きました。みんなは俺がいなくなったら困る、水無月さんがいなくなったら困ると言うけど、ここにいる営業は今まで積み上げてきた業績を評価され、選ばれて営業一課に迎えられた人間ばかりです。だから俺が営業一課を離れても、小早川や平井は水無月さんのフォローがなくても大丈夫だろうと思っています。
まぁ……せいぜい九州支社に売り上げが抜かされないよう頑張ってください。以上です。ありがとうございました」
遠野課長が挨拶を終えると一番盛大な拍手が起こった。
向かいの席の小早川くんは『最後の一言は余計だろ』と笑っていた。
「え、課長、それだけですか?」
席に戻ろうとする遠野課長を幹事が慌てて呼び止める。振り返った課長は『そうだけど』と頷いた。
「報告する事はないんですか?」
「は?」
「とぼけても無駄ですよ。みんなとっくに気付いていますからね?せっかくだしここでいい報告してくださいよ!あるでしょ?」
困り顔の遠野課長が私の方を振り返る。目が合った私は『どうぞ、言ってください』と視線だけで彼に訴えた。その訴えは届いただろうか?
課長は先ほど立っていた場所に戻り、もう一度店内にいる営業一課のメンバーを見回した。
「えっと……私事で大変恐縮なんですが」
「遠野くん!恐縮だとか思ってもない事は言わなくていいよ!」
そう茶化すのは早乙女チーフだ。
店内が笑い声に包まれると、遠野課長は『早乙女……』と眉をひそめていた。
空気が落ち着いてから遠野課長は『えっと』と再び喋り始める。
「今回の九州支社への転勤に伴い……お付き合いをしていた水無月莉音さんと結婚する事を決めました。
俺の異性関係の事で騒ぎもあって、一課のみんなにも迷惑を掛けたと思います。彼女にも迷惑を掛け、辛い思いをさせてしまいました。春から慣れない土地で新生活を始める事になりますが、2人で支え合っていけたらいいなと思っています。
彼女は俺が責任をもって幸せにするんで……残りの独身組も頑張っていい人探してください。特に早乙女は年齢ギリギリだから頑張れよ」
「うるさいわ!」
早乙女チーフが遠野課長の嫌味に対して声を荒らげると会場は再び笑い声と温かい拍手に包まれた。
私も近くに座っていたメンバーから『おめでとう』『お幸せに』の声を掛けて貰えた。みんなからの祝福が嬉しくて、泣きそうになるのを我慢するので必死だった。
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