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送別会は1次会だけで終わり、私は保さんと一緒にマンションに戻った。
503号室に辿り着き、居室に入って電気をつけるなり保さんが『座って、座って』とベッドを指差した。私はコートも脱がず貰った花束やプレゼントを抱えたままベッドに腰かける。
「何ですか?」
私がそう問い掛けても保さんは何も答えない。
彼はフローリングの上に座り込み、バッグを漁り続けていた。
保さんの私物もほとんどが福岡の新居へ送られていて、残っているのは部屋を引き払う時に処分するシングルサイズのベッドとスーツが数着とスーツケースに収まる量の日用品だけだ。
バッグから何かを取り出した保さんが『莉音』と私の名前を呼ぶ。
「本当は入籍した日に渡したかったんだけど」
「え?何を?」
保さんが私の方に何かを差し出す。
彼の手の中にあったのは白い長方形の箱だった。
それが何なのか、中に何が入っているのか私には分からない。
保さんがゆっくりと箱を開けてくれた。
中に入っていたのは──指輪だった。
シルバーのリングが2つ並んでいる。
私は指輪と笑顔の保さんを交互に何度も見た。
「本当にごめん。20日に間に合わなくて」
「うそ……用意してくれてたんですか……?」
嬉しさの余り、声が震えてしまう。
保さんが小さい方の指輪を手に取り『左手』と言った。
私は頷いて彼の方に左手を差し出す。
そこにはめられたのは私の左手の薬指にぴったりのサイズの指輪だった。
「サイズはどうやって調べたんですか……?」
「莉音は隙が多いからね。寝ている時に測らせてもらったよ」
そこまではパーフェクトだったのに、肝心の入籍日に指輪が用意できなかったらしい。
惜しい、すごく惜しいよ。もう一息で完璧だったのに。
……でも、完璧なのは保さんじゃない。
ちょっとどこか抜けているのが私の大好きな保さんだ。
私がじっと自分の左手を見つめていると、『俺の分は莉音がはめてよ』と言って指輪を差し出してきた。私は彼の左手に触れ、丁寧に指輪をはめた。
同じ左手の薬指に同じデザインの指輪が光っている。
それを見ているだけで私は涙を零してしまった。
「本物はまた改めて渡すから」
「え?どういう意味ですか?」
「来年の3月に結婚式をしよう」
「……結婚式?」
私がそう聞き返すと保さんは『結婚式、しようよ』と繰り返した。
「したくない?俺は莉音がウエディングドレスを着ている姿が見たいんだけど」
「でもお金も掛かるし……無理はしないでいいです。それに福岡だと保さんのご両親も来るのが大変じゃないですか?」
「うちの親が『絶対に式を挙げろ』って言っているんだよ。きっと莉音のご両親もそう言うんじゃないかな」
私は左手の指輪をじっと見つめた。
……正直に言えば、結婚式はしたい。
保さんが『結婚式をしたい』と言うなら、私はそれを叶えてあげたいし、私だってこの人と小さくてもいいから式を挙げたいと思っていた。
「向こうでの生活が落ち着いたら2人で準備をして、来年式を挙げよう。この指輪は俺が独断で選んじゃったし、それまでの仮のものだから。結婚指輪は2人でいっぱい悩んで一緒に選ぼう。いいでしょ?」
保さんの『いいでしょ?』を私は断る事ができない。
私は涙を拭い『はい』と頷いた。
「保さん」
「なに?」
「ギューってしていいですか?ついでにキスもしていいですか?」
「……ダメ」
保さんはそう言って私が持っていた花束や荷物を床の上におろし、腰を浮かせる。驚いている私の肩を掴み、そのままベッドの上に押し倒してきた。
「そういうのは俺からするから」
「ちょっと、保さん……っ」
「あーもう。莉音のせいだからね」
彼が私に顔を寄せ、キスをして来た。初めて会った日と同じお酒の匂いがするキスを何度かした後、顔を離して彼は私と目を合わせる。
彼の目が『いい?』と問い掛けてくる。
私は『いいですよ』と頷き、身体の力を抜いた。
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