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保さんが持つタブレットの画面は流れるように切り替えられていく。企画書、スケジュール、見積書……彼は素早く仕事の資料をチェックしていた。
全国で二番目に業績が低かった九州支社は、保さんが異動になってから一気に成績を伸ばし、前期は全国3位という好成績を残した。
本社も遠野保という優秀な営業を手放した事をひどく後悔しているらしい。
本人が噂で聞いたという話なので多少盛っている可能性もあるが、私はその話についてはあまり深く追求しなかった。
「なんか……また大きい仕事を取って来たの?無理しないでよ?」
「分かってるって」
「どうだか」
「莉音が悲しむような事はしない。心配しないで」
タブレットを閉じ、保さんは私の方に手を伸ばしてあやすように頭を撫でてくれた。
母親なんだから甘やかさないでと最近は突っぱねていたが、今はなんだか保さんに甘えたい気分だった。
「ねぇ広佳ってさ、やっぱり俺に似てるの?莉音もそう思う?」
「どっちかいうと保さん似かな。お義母さんは『保にそっくり』って今日も絶賛してたよ」
「そっかー見た目が俺なら、中身は莉音かな。莉音に似て優しくて他人想いのいい子になるのかな」
そんな事を言いながら保さんは広佳が寝ているベッドの方を振り返る。でもすぐにその視線を私の方に向けてくれた。
子供の名前は保さんが決めてくれた。
決めてくれたとはいっても、彼は大いに優柔不断を発揮して、1ヶ月ひたすら悩み続けていた。
そして『心の広いおおらかな子になって欲しい』という願いを込めて私達は生まれてきてくれてた娘に『広佳』と名付けた。
結婚式を終え私の妊娠が分かった時、保さんはすごく喜んでくれた。
嬉しさの余り彼が『父親にしてくれてありがとう』と泣き出すから、私も彼を馬鹿にしながら泣いていた。
「莉音はすごいよね」
私の頭をなでながら彼は微笑んだ。私は『何が?』と聞き返す。
「俺はいつも莉音にお返しをしようと必死なのに、返しきれないくらい大きいものを俺にくれるんだもん。返しても返しても、足りないよ。それくらい君と一緒になってから俺は幸せなんだ」
「私はもう十分だから、これからはその気持ちを広佳に向けてあげてね」
私がそう答えると保さんは私に触れる手を止めて『それは当たり前だよ』と頷いた。そして『でも莉音にも返すからね』と笑ってくれた。
「莉音」
「なに?」
「莉音に出会えてよかった。あの日、俺が倒れたのが君の部屋の前でよかった。君に拾ってもらえて本当によかった。莉音に感謝したらいいのか、神様に感謝したらいいのか分からないけど、あれは全部運命だったんだって、今も俺は信じてるよ」
真剣な顔で保さんはそう言った。
……それは、こっちのセリフだ。
私の方こそ、出会ってくれてありがとうと言いたかった。
保さんと一緒になって、私は毎日が楽しくて、毎日が幸せだった。
東京から福岡に引っ越してから過ごした日々は毎日がキラキラしていて、これからもそんな日が続くのかもしれないと考えると、嬉しくて泣きそうになるのだ。
「俺が莉音と広佳を幸せにするからこれからも一緒にいよう。いいよね?」
「はい……よろしくお願いします」
保さんの『いいよね?』に私が涙声で頷くと、彼は『泣き虫』とからかう様に言ってきた。
そして彼は私から手を離し『よし』という掛け声と共に立ち上がった。
「お父さんは仕事に戻ります。2人の為に稼がないとね」
「来てくれてありがとう、お仕事頑張ってね」
「帰りも早く終わったら、また寄るから」
「そんなに広佳に会いたいの?」
「莉音と広佳に会いたいの」
保さんはあの目じりを下げる私が好きな優しい笑みを浮かべた。
『じゃあね』と手を振って部屋を出ていったはず彼は、少ししてなぜか部屋に戻ってきた。
「どうしたの?」
「広佳に夢中で忘れ物した」
「え?」
「ほら、今日の朝は病院に寄れなかったじゃん」
「うん……?保さんが来れなかったから代わりにお義母さんが来てくれたんだよね?」
保さんが病室のドアを閉め、私に近付く。
そして顔を近付け、私の頬に軽くキスをした。
結婚してから先に家を出る彼にキスをするのが日課で、入院中は出勤前に病院に寄ってくれた彼が私の頬や額にキスをしてくれていた。
……忘れ物って、これの事か。
「莉音。愛してるよ」
そう言って顔を真っ赤にする彼は出会った頃と変わっていない。
私はやっぱりこの人が好きだと改めて強く思った。
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